信仰と疑い

創世記17章15~25節 2025年11月23日(日)主日礼拝説教

                           牧師 藤田浩喜

「神はアブラハムに言われた。『あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。』」(17:15~16)

 17章前半の部分で、アブラムは「アブラハムと改名せよ」と命じられましたが、同じように、サライも「サラに改名せよ」と命じられます。しかしアブラハムの場合と違って、ここでは改名の意味は語られません。「サライ」と「サラ」は、両方とも意味としては変わらず(王女の意)、「サラ」というのは「サライ」の新しい形だということです。アブラハムが「諸民族の父」となるように、サラも「諸国民の母」となると言われます。実際、そのように敬われてきました。

 アブラハムは、この言葉を素直に聞くことはできませんでした。アブラハムとサラ夫婦が、最初にその約束の言葉を聞いてから、すでに25年の歳月が流れていました。しかし結局、サラから子どもは生まれず、二人は一計を案じ、女奴隷ハガルによってイシュマエルをもうけたのです。神様の約束は半分だけかなえられたようでありました。あるいは神様の約束を半分だけ聞いて、あとの半分を人間的知恵で補ったと言えるかもしれません。イシュマエルはすでに13歳になっていました。アブラハムもすでに、サラによって子どもを得ることは諦めています。神様の約束は、このイシュマエルによって実現するのだということで納得していました。サラも満足はしていなかったでしょうが、納得はしていました。

 アブラハムは、この神様の言葉をどのように聞いたでしょうか。「アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。『百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。』アブラハムは神に言った。                                    『どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように』」(17:17~18)。

 複雑な態度、そして複雑な言葉です。「神様、私たちはもう99歳と89歳です。新しいことは何も期待していません。神様があんな約束をくださったものだから、妻もいっときは期待していました。しかし実際に、ハガルによってイシュマエルが生まれた後、わが家はとても複雑な関係になってしまいました。日々、緊張の連続でした。イシュマエルで十分です。これが私たちの出した答えです。もう私たちをかきまわすようなことはやめてください」。

 15章のときは、神様に向かって、「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません」と言って、食ってかかっていました。あのときも不信仰の応答でしたが、まだ神様と対話を持とうとしていました。しかしここではそれも言わずに、じっと黙って神様の前にひれ伏しています。ひれ伏しながら、笑っています。うれしくてそれを抑えるようにして、ほくそ笑んでいたのではありません。神様の言葉を鼻で笑い、神様の言葉を信じて待ち続けた馬鹿な自分をあざ笑っているのです。そして落ち着き払って言いました。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように」(17:18)。これが99歳の、人生経験豊かな、しかも信仰深い男の出した答えでした。

 しかし、神様ははっきりと言われるのです。「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする」(17:19)。

この「いや」と訳された言葉は、とても強い言葉です。「ノー」。この言葉によって、神様はアブラハムをもう一度信仰へと呼び戻されるのです。アブラハムは、神様を信じて歩んできましたが、一番の願いは叶えられませんでした。いくら待っても叶えられないので、自分でそれなりの道をつけて、それを神の祝福であると信じてきました。それがイシュマエルです。しかしそういうふうに神様を信じ、礼拝しながら、もはや神が全能であることを信じられなくなってしまっています。

 これは私たちの信仰生活に似ていないでしょうか。私たちも神様を信じ、イエス・キリストを自分の救い主と信じて歩み始めました。しかし何も起こらない。大した変化もない。一応信じてはいるけれども、それほど感動があるわけでもない。そういう毎日が10年、20年と続く中で、大体どうすれば、どうなるということがわかってしまう。そして神様の大型の恵みを信じ切れず、それを自分で信じることができる小型サイズの恵みに変えてしまうのです。ポケットに入る程度の恵みです。

 「信仰」というのはいつも、「疑い」と裏表です。疑うことがあるから、信じるということがあるのです。信仰をもっていると言っても、信じることと疑うことを行ったり来たりしています。その信仰も、何年もするうちに色あせてきます。そうした中、神様はそのような私たちに対して、「いや、私の備えている恵みはもっと大きい。あなたはそれを信じることができないのか」と言って、信仰の新たな地平へと呼び戻されるのです。この神様の小さな「いや」は、私たちのどんな大きな声よりも大きな意味をもっています。

 さて今日の箇所で、もうひとつ見逃すことができないことがあります。それはイシュマエルの存在です。イシュマエルは、もとはと言えば、アブラハムとサラの不信仰の結果、生まれたような子どもです。不信仰も罪であるとすれば、イシュマエルの存在自身がアブラハムとサラの罪の結果であると言えるかもしれません。実際に、サラに実子(イサク)が生まれると、イシュマエルは二人にとって、とりわけサラにとって邪魔な存在になっていきます。その子がそこにいること自体が、彼らに自分たちの罪を思い起こさせたでありましょうし、イサクの跡継ぎとしての地位を脅かすものに思えました。

 しかし神様は、このイシュマエルの存在も忘れることはありません。それがたとえアブラハムとサラの罪の結果であったとしても、です。「イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は12人の首長の父となろう」(17:20)。

 選びの器は、サラの息子イサクによって備えられていくのですが、イシュマエルもしっかりと神様の御旨のうちに数えられ、恵みを与えられるのです。

 私は、この世に生まれてくる生というのは、みんなそうであると思います。傍目(はため)には、祝福されていないかに見える子どももあるかもしれません。なぜこの子が生まれてきたのか。イシュマエルの存在は、サラにとってはイサクが跡継ぎになるための障害になる。しかしハガルにとっては、かけがえのない息子であります。イシュマエルという名前の意味は、「神は聞かれた」でした。それは何よりも「ハガルの悩みを聞かれた」ということでした(16:11)。

 17章の中には、表に登場しないもうひとりのお母さんが存在しています。陰に置かれたようなお母さんです。しかしその母親の息子への思いは、とても大きなものでありました。私たちの世界には、ハガルのようなお母さんがたくさんいます。イシュマエルの場合には、父アブラハムに認知されていましたから、アブラハムの家族に加えられていました。しかし父親に認められないまま、母親がその子を産む決心をして、生まれてくる子どももいます。もしかすると、実の母親からも愛されていない場合もあるかもしれません。しかしその命にも神様の愛が宿り、神様の御旨のうちに生まれてくるのです。

 イザヤ書49章14~16節に、こういう御言葉があります。

「シオンは言う。

主はわたしを見捨てられた

わたしの主はわたしを忘れられた、と。

女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。

母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。

たとえ、女たちが忘れようとも

わたしがあなたを忘れることは決してない。

見よ、わたしはあなたを

   わたしの手のひらに刻みつける。」

 この箇所は、聖書の中で、珍しく神様が母にたとえられている箇所です。もしもこの世の母親が自分の子どもを忘れることがあったとしても、「わたしがあなたを忘れることは決してない」と言って、地上の母を超えた真(しん)の母のような存在であることを告げています。もちろんイシュマエルの存在は、常に母ハガルの祈りのうちにありました。

 イシュマエルが生まれること自体が、たとえアブラハムとサラの不信仰のゆえであったとしても、その子が生まれてきたということは、そこに神様の意志があったということです。そしてその子を祝福することによって、アブラハムとサラの不始末の罪をも贖ってくださるのです。

 この世に生まれてくる生には、必ず神様の祝福があり、意味がある。そこに命がある限り、必ず神様の意志があるのです。

 「この世に存在するものは、必ず何かの役に立っている。何かの意味がある」。 こうした価値観は元をただせば、恐らく聖書から来ているのでしょう。私が思い起こしたのは、今日、読んでいただいたテモテの手紙 一 4章4~5節の言葉でした。「というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」

 聖書は、そう語ります。たとえ、それが何かの間違いで出発したことであったとしても、あるいは不信仰であったとしても、それがそこに存在するということは、神様の意志が働いたからです。そして神様の計画の中で、その罪が贖われて、きよめられて、神様に用いられていくようになるのではないでしょうか。

 大きなところで言えば、旧約聖書のイスラエルの歴史そのものがそういう面をもっていると思います。イスラエルの民が、最初に「自分たちも王が欲しい」と、預言者サムエルに訴えたのは、「他の国と同じように、王様がいれば、この国も強くなれる」というわがままな思いからでありました(サムエル上8章)。王がいなくて、神様が、そのつどふさわしい指導者(士師)を立てられつつ、直接支配されることこそがイスラエルの特徴でした。それなのに、民の声に押し切られて、サウル王が立てられていきます。これは、「目に見えない神様だと頼りないから、目に見える王が欲しい」という不信仰です。

 しかし、そのようにして始まったイスラエルの歴史がいつのまにか、神様の歴史になっていくのを見る思いがします。その次の王としてダビデが立てられ、イスラエルの民の希望の星となります。そしてその歴史のずっと先に、イエス・キリストが立っておられるのです。イエス・キリストこそは、まさに「目に見えない神様だと頼りないから、目に見える王が欲しい」という人間の願いの実現として、この世界に来られたと言えるのではないでしょうか。神様がその不信仰の罪を贖い、それを神の歴史としてくださるのです。

 私たちのこの世界、それぞれの人生にも、そうした神様の不思議な御計画、摂理があることを信じて、歩んでいきましょう。お祈りをいたします。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神様、あなたの貴き御名を讃美いたします。今日も敬愛する兄弟姉妹と共に礼拝を守ることができましたことを感謝いたします。アブラハムとサラの歩みを通して、あなたの御心を示されました。私たちの信仰生活においても、信仰と疑いが繰り返されています。そうした中で私たちは、あなたの恵みをポケットサイズの小さな恵みにしてしまいます。しかし、あなたは私たちの人生に介入され、「ノー」と言われ、私たちの信仰をあなたの大きな御計画のもとに引き戻してくださいます。どうか、あなたの御心を聴き取ることができますよう、私たちの信仰の耳を強めていてください。11月の下旬を迎え、本格的な冬の到来を感じさせます。教会につながる兄弟姉妹の心身の健康をお支えください。特に病床にある兄弟姉妹、高齢のために様々な困難を覚えている兄弟姉妹をお支えください。この拙き切なるお祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

嵐をしずめる

マタイによる福音書8章23~27節 2025年11月16日(日)主日礼拝説教

                           牧師 藤田浩喜

 今朝読んでいただいた御言葉は、こう始まっています。23節です。「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。」何気ない言葉ですが、丁寧に読んでみますと、改めて気づかされることがあります。それは、イエス様と弟子たちは舟に乗ってガリラヤ湖の向こう岸に行こうとしていたわけですが、その舟にまず乗られたのはイエス様であって、そこに弟子たちも従って乗り込んだということです。弟子たちが乗った舟に、イエス様が乗り込んだというのではないのです。どっちでも同じではないかと思われるかもしれません。しかし、このことはとても重要なことです。

 前の段落の18節を見ますと、「弟子たちに向こう岸に行くように命じられた」とあります。つまり、弟子たちは、自分たちで向こう岸に行こうと言い出したのではありません。自分たちが乗った舟にイエス様が乗ってこられたのでもありません。弟子たちはイエス様に命じられたのです。さらに22節を見ますと「わたしに従いなさい」とあります。弟子たちはイエス様に従っただけです。変な言い方かもしれませんが、この時弟子たちに落ち度はなかった。夜のガリラヤ湖に舟を出して向こう岸に渡ろうとしたのは、100%イエス様の責任、イエス様のご命令で行われたことだったのです。

 ところが、24節前半「そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった」とあります。湖に舟を出すと、激しい嵐が起きたのです。舟は波に飲み込まれそうになったのです。

 ガリラヤ湖というのは、海抜約-200mほどの所にある湖です。海抜-200mのガリラヤ湖は、世界で2番目に低い所にある湖です。この低い所にある湖という地形のために、周りの山々から突風が吹いてくるということが起きます。現在でも起きています。この時も、そのような突然の嵐が、イエス様一行が舟を出したその夜に起きたのです。イエス様一行が乗っていた舟は多分、漁師たちが漁で使っている舟だったと思われます。それはとても小さな小舟です。湖が荒れれば、まさに木の葉のように揺られ、水も入ってくる。シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは元漁師でしたが、このような状況になれば、どうしようもありませんでした。彼らは、このような突然の嵐の怖さをよく知っていました。恐らく漁師仲間の何人かは、このような嵐に巻き込まれて命を落とすということもあったのでしょう。彼らは必死でした。必死に舟を操り、入ってくる水をかき出していたことでしょう。彼らは命の危機を感じていました。「このまま嵐が静まらなければ、自分たちはもうお終いだ!」。そう思ったことでしょう。

 ところが、その時イエス様はどうしておられたでしょうか。聖書は、「イエスは眠っておられた」と記します。舟は波に揉まれて、めちゃくちゃに揺れています。波をかぶって、水も入ってくる。よくまあ、そんな状況の中で眠っていられるものだと思います。でもこの時イエス様は眠っておられたのです。

 この眠っておられるイエス様を見て、弟子たちはどう思ったでしょう。皆さんならどうですか? 一つは、イエス様への不満、怒りのような気持だったと思います。「こんな時によく眠っていられるものだ。」「あなたが舟を出せと言ったからついてきた。どうしてくれる。」そんな思いを持ったのではないでしょうか。そして、もう一つ。「主よ、助けてください」という叫びのような願いです。

 私たちは、ここではっきり知らなければなりません。イエス様に従っても、いやイエス様に従うがゆえに、嵐に遭う、絶体絶命の危機に陥ることがあります。イエス様に従っていくならば、必ず平穏無事な幸せな日々を過ごすことができるということではないのです。クリスチャンになれば、事故にも遭わず、病気にもならない、人間関係のトラブルにも巻き込まれない。そんな保証などないのです。

 けれども、イエス様はどうして、嵐に遭うような夜に舟を出させたのでしょうか。イエス様も弟子たちと同じように、嵐が来るとは思わなかったということなのでしょうか。そうではないと思います。イエス様はすべてを知っておられたと思います。しかし、あえて舟を出したということなのだと思います。なぜか。それは、弟子に対する一つの訓練だったのではないでしょうか。

 弟子たちはこの時、自分の経験、自分の能力、自分の力ではどうにもならない、自分では自分を救えない、そういう状況に追い込まれました。そこで彼らは、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めました。これは弟子たちの叫び、弟子たちの祈りでした。そして、イエス様はこれに応えて、嵐を静められました。どんな危機的状況であっても、イエス様に助けを求めるならば大丈夫。弟子たちはそのことを、強烈に思い知ったのではないでしょうか。その経験をイエス様は、弟子たちにさせたということなのではないかと思うのです。

 舟が転覆しそうになった時、弟子たちに起こされたイエス様は、こう言われました。26節「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」しかし、この状況の中では怖がるのは当たり前です。こんな時に眠っておられるイエス様の方が変なのです。そう、イエス様が変なのです。どうして変なのか。それはイエス様がただの人間ではないからです。神の独り子、まことの神であられるからです。イエス様は風と湖とをお叱りになった。すると、すっかり嵐は静まり、凪になった。こんなことがおできになるお方だから、イエス様はこの天と地を造られた神様の独り子であられるから、この状況の中でも怖がることはなかったのです。でも、弟子たちは怖がった。ただの人間だからです。当たり前のことなのです。

 ここでイエス様は、弟子たちに「信仰の薄い者たちよ」と言われました。これは直訳すれば、「小さな信仰」です。信仰が無いのではありません。小さいのです。ここでイエス様は、小さな信仰しか持っていない弟子たちを叱ったのでしょうか。そうではないと思います。ただ事実を告げられただけなのです。

 弟子たちの信仰は小さい。それは事実です。私たちの信仰も小さいのです。イエス様のように神様と一つとなって、神様に対しての絶対的な信仰の中で生きている者などどこにもいません。だから、弟子たちと同じように「主よ、助けてください」と叫ぶようにして、イエス様に祈るしかないのです。そして、イエス様はその叫びに応えて、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と言いながら嵐を静めてくださるのです。私たちにできることは、何とかこの嵐の中でも舟が沈まないように、一生懸命舟を操り、水をかき出すことです。そしてどうにもならないなら、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めて叫ぶことなのです。イエス様は必ずその叫びに応えてくださるのです。

 私はこう思っています。自分としては精一杯やっているのだけれど、どうにもならないことはよくあります。そして、こうなったらどうしよう、こんなふうになったら困るな、そんな不安や怖れにとらわれてしまいます。その時どうするのか。この時の弟子たちと同じように、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めたらよいのです。イエス様は必ずその叫びに応えてくださいます。 

 皆さんは、自分の信仰が弱いと思うこと、イエス様に「不信仰な者よ」と言われていると思うことはありませんか。もし、そのようにイエス様が言われていると思ったなら、大いに安心したらよいのです。イエス様は、私たちに「信仰の薄い者よ」と言って、お終いという方ではないからです。イエス様がそのように言われたなら、必ず、私が怖れている嵐を静めてくださいます。そのことを信じてよいのです。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者よ」と言われたなら、心から喜んだらよいのです。このイエス様の言葉を聞く人は、すでにイエス様の守りの中に生かされています。イエス様が同じ舟に乗っていてくださっているからです。

 さて、教会の歴史において、イエス様が乗ってくださっているこの舟は、キリスト教会のシンボル=象徴と考えられてきました。キリスト教会は時代の荒波の中、何度も沈みかけたことがありました。しかし、そうはなりませんでした。教会が知恵を持ち、力を持っていたからではありません。イエス様が共にいてくださり、嵐を静めてくださったからです。

 この舟はどこへ向かっていたでしょうか。聖書は「向こう岸へ向かって」いたとしか記していません。しかし次の28節を見ますと、この舟が向かっていたのは「ガダラ人の地方」であった。イエス様はこの地の墓場に住む、悪霊に取りつかれた二人の人から悪霊を追い出されたことが記されています。つまり、イエス様一行が向かった先は、ガダラ人という異邦人の地であり、そこに住む悪霊に取りつかれた人を救うためであったということなのです。

このことを教会に当てはめるならば、異邦人伝道へと向かう中で嵐に遭う、伝道の困難さを示しているとも言えるでしょう。伝道というのは、キリスト教会が復活のイエス様に命じられて、二千年の間、すべてのキリスト教会が行ってきたことです。この伝道という業は、すんなり楽々となされたことはありません。よく、現代の日本は伝道が困難だと言われます。しかし、何時の時代の、どこの国の伝道が困難ではなかったというのでしょうか。いつでも、どこでも、伝道は困難でした。その困難のただ中で、教会は、伝道者は、何度も「主よ、助けてください」と叫んだ、祈った。そして、その祈りは聞かれ、今の教会があるのです。困難はあります。自分の力ではどうにもならないような危機にも見舞われます。しかし、それでも大丈夫なのです。私たちがイエス様と同じ舟に乗ったからです。イエス様に従って、イエス様が乗っている舟に乗り込んだのなら、イエス様が必ず何とかしてくださるのです。

 もし今、本当に辛い、大変な状況の中にある人がおられるなら、「主よ、助けてください」と祈りましょう。本当に困った時、「助けてください」と叫ぶことは大切です。人間同士でも大切ですが、神様に「助けてください」と祈ることはもっと大切です。神様は必ず働いてくださって、私たちの思ってもいない道を開いてくださいます。だから安心して、人生という航海へと乗り出していきましょう。主はいつもあなたと共におられます。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神様、あなたの貴い御名を褒め称えます。

今日は南柏教会に集う子どもと大人が一緒に礼拝を守ることができました。そのことを心から感謝いたします。教会はイエス様が乗っておられる舟で。そこには子どもも大人も乗っています。教会という舟は小さい舟で、嵐に見舞われ、ひどく揺さぶられることもあります。転覆するのではないかと怖くなることもあるかもしれません。しかし、舟のあるじであるイエス様は風と湖を𠮟りつけ、嵐を静めてくださいます。イエス様がおられる舟に乗っている限り、私たちは守られ、無事に目的地に到着することができます。どうかイエス様が共におられることを信じて、人生という航海を続けさせてください。今週から寒さが強まりそうです。

どうか、教会につながる兄弟姉妹一人一人をお支えください。このひと言の切なるお祈りを、イエス様の御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

ペトロの流した涙

マルコによる福音書14章66~72節 2025年11月9日(日)主日礼拝説教

                            牧師 藤田浩喜

先ほどお読みした詩編41編10節に、こういう言葉が出てきます。

  「わたしの信頼していた仲間

   わたしのパンを食べる者が

    威張ってわたしを足げにします。」

 この詩編の作者、この中で嘆いている人物は、どうやら重い病気にかかっている人のようです。そして、どういうわけか分かりませんが、周囲の人々は、この人の弱り切った姿を見て、あざけったり、「いいざまだ」と言わんばかりのひどい態度を示したというのです。あげくの果てには、彼が元気な時、健康だった時には、いろいろ面倒を見てやった人たちまでが、病の床にあるこの人を見捨ててしまったと、この詩人は憤っているのです。

 10節に出てくる「わたしのパンを食べる者」というのは、この人が養っていた人、親しく世話をしてやっていた人という意味でしょう。家族か親族の一員ででもあったのでしょうか。自分の食べ物、自分のパンを分けてやっていた、そういう親密な人間までが、私を見限ったというのです。

 英語に「コンパニオン」という言葉があります。日本語に訳すと、「同伴者」とか「仲間」という意味になりますが、この言葉はもともと「クム」と「パーヌス」の組み合わせから作られた言葉で、その意味は「パンを共にする」ということです。つまり、「一緒にパンを食べる/食事をする」ような関係の人々こそ、「コンパニオン」、「同伴者」であり「仲間」なのだということです。

 この詩編41編の作者は、まさにそうした「コンパニオン」であった人々が、今や私を見捨て、私を裏切って去って行ってしまったと嘆いているのです。

 しかし、「コンパニオン」の裏切りを経験したのは、決してこの詩人だけではありません。主イエス・キリストも、ちょうどそれと同じ経験を味わったという事実を、私たちはよく知っています。                  

 あの木曜日の夜。最後の晩餐の後で、イエス・キリストは弟子たちと共にゲッセマネにおいでになり、そこで祭司長や律法学者、そして長老たちの遣わした群集によって逮捕されました。その人々を先導してきたイスカリオテのユダは、イエス様に接吻することによって、「誰がイエスか」を人々に知らせたと、マルコによる福音書14章43節以下に記されています。

  「わたしの信頼していた仲間

   わたしのパンを食べる者が

    威張ってわたしを足げにします。」

 詩編41編10節の言葉は、まさしくこの場面にぴたりと当てはまるのです。

 群衆に捕らえられた主イエスは、大祭司のもとに連れていかれ、そこで裁判にかけられました。

 その裁きの場には、「祭司長たちと最高法員の全員」(14:55)がいたと記されています。そうであるとすれば、主イエスは少なくとも100人近い敵対者たちに囲まれながら、憎しみと怒りのうず巻く状況の中で、たったひとり立ち尽くしておられたことになります。そこでは偽りの証言が飛び交い、あげくの果てには、主イエスに対する暴力、からかい、はずかしめが行われたということが、聖書に記されています。

 一方、大祭司の屋敷の中でそうした出来事が進んでいたころ、その建物の外でもひとつの事件が進行していました。

 ゲッセマネでは他の弟子たちと一緒にあたふたと逃げ出したペトロが、遠くから逮捕された主イエスの後について行き、ひそかに大祭司の屋敷の中庭にまで入り込んでいたのです。

 時間はすでに夜中を回っており、そろそろ夜明けに近づく時刻であったと思われます。中庭では火が焚かれ、ペトロはその屋敷にいた人々と一緒に火にあたっていました。春とはいえまだ寒い時期の夜のことです。屋敷の中で行われている出来事に関心を寄せながら、その家の人々は眠らずに、その裁判の終わるのを待ち続けていたのでしょう。

 その時、火に照らされたペトロの顔をじっと見つめていた、その屋敷の女中が言いました。

 「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」(14:67)

 この女は、さらにもう一度、「この人は、あの人たちの仲間です」と繰り返しました。

 すると、それを聞いたほかの人々も、「たしかに、お前はあの連中の仲間だ」と言い出したというのです。

 人々の言葉に恐れをなしたペトロは、人々に向かって、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言って逃げ出そうとしたと聖書は記しています。そして最後に、とうとうペトロは、「そんな人は知らない」と誓い始めたというのです。

  「そんな人は知らない。」(14:71)

 ここでもまた、あの詩編41編の作者の嘆きがぴたりと当てはまります。

  「わたしの信頼していた仲間

  わたしのパンを食べる者が

    威張ってわたしを足げにします。」

 ペトロが主イエスの手渡してくださったパンを食べたのは、わずか数時間前のことでした。数時間前まで、ペトロは「共にパンを食べる仲間」、「共に生きる仲間」、「コンパニオン」でした。そして、数時間後にペトロの口から出た言葉は「そんな人は知らない」だったのです。

 ペトロの姿の中に、私たちは人間の弱さ、罪深さを見ます。

 自分の一生において、誰よりも大切なはずの人を「知らない」と言えるほど、誓ってそう言えるほど、私たちは弱い者、罪深い者なのです。

 この時、ペトロと主イエスの距離は、屋敷の壁を隔てて、わずか数メートル、数十メートルにすぎなかったはずです。そんなに近くにいる主イエスを、ペトロは「知らない」と言ったのです。

古代中国、宋の時代のことわざに、「食人之食者死人事(人の食を食せし者は人の事に死す)」という言葉があるそうです。それは「食べ物を分け与えられた者は、それを分けてくれた人のために命をささげるべきである」という意味だといいます。「コンパニオン」という概念とは少し違うかもしれませんが、「パン」、「食べるもの」によって結ばれる人と人との交わりのきずな、「仲間」になるということの本質的な一面を、このことわざもまた教えているのではないでしょうか。

 最後の晩餐において、パンを裂いて弟子たちに与え、杯を共に分かち合った主イエスの思いの中に、このような中国のことわざの示すような意図が含まれていたのかどうか、私には分かりません。

 しかし、私たちキリスト者が聖餐にあずかるということ、主イエスの分かち与えてくださるパンを食べ、杯を飲むという出来事の中には、それ相応の粛然とした面があるということも、私たちは覚えておくべきだろうと思います。

 聖餐のサクラメントの中には、豊かな象徴が含まれており、いろいろな理解や受けとめ方をすることが可能です。例えば、それは主と共にする喜びの食事であるとも言えますし、私たちが互いに主によって結ばれた仲間であることを確認する食事であるとも言えます。またそれに参加することを通して私たちの信仰を告白する行為であるとも言えますし、この世に主を証ししていく新たな力を与えられる出来事であるとも言えます。

 しかし、主の受難を覚えるレントの時期に、ことに受難週に行われる聖餐について言うならば、その焦点となるものは、喜びや交わりということではなく、そうした喜びや交わりとは正反対のものにあると言わなければなりません。

 すなわち、聖餐にあずかる私たちが、このパンと杯にあずかることを通して見

つめなければならないのは、私たち人間の罪の深さであり、私たちの利己的な身勝手さです。私たちにパンを分けてくださる方、杯を分かち合ってくださる方に向かって「そんな人は知らない」と言い切る人間の弱さに対して、私たちは目を背けることなく、正面から向き合わなければなりません。

 主イエスは、先ほどご紹介した古代中国のことわざにあるような脅迫的なものの言い方はなさいませんでした。また主イエスは、詩編の詩人が嘆いたようなかたちで、ご自分を裏切った仲間たちを告発するということもなさいませんでした。

 かえって主イエスは、ペトロや私たちの人間的な弱さを先んじて思いやり、裏切りの後のことに至るまで、深い配慮をお示しになりました。

 2000年前のあの木曜日の夜以来、世界中のキリスト者は、聖餐式の度にパンを裂き、杯を受けることによって、あの晩の出来事を記念してきました。

 このあと、私たちが裂くパン、私たちが手にする杯は、そのような2000年間にわたる、主イエスの受難を告げるしるしであると共に、私たち弟子である者たちの罪を記念するしるしでもあります。そしてまたそれは、そのような私たちの弱さをよくよく知りつつ、それでもなお私たちを愛し、私たちを守り、私たちを見捨てないと約束していてくださる、私たちの主イエス・キリストを記念するしるしなのです。

 このあと、私たちが裂くパン、私たちが手にする杯は、小さなものにすぎません。しかし、このパンと杯にあずかることを通して、私たちは、私たちが「あの人の仲間」であることをはっきりと確認するのです。このパンと杯を、今再び主イエス・キリストの手から受け、主イエス・キリストの「仲間」であることを想い起こし、主イエス・キリストに従う決意を新たにしたいと思います。このことを覚えて、聖餐の恵みに共にあずかりたいと思います。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神様、あなたの貴き御名を心からあがめます今日も敬愛する兄弟姉妹と礼拝に与ることができましたことを、感謝いたします。ペトロが主イエスを三度否んだ箇所を学びました。そのペトロの出来事の数十メートルも離れていないところで、主イエスは最高会議の人々にあざけられ死刑の宣告を受けられていました。二つの出来事が同時進行で起こっていたことを知る時、私たちは自分の弱さや罪深さを痛感せざるを得ません。しかし主イエスは私たちの弱さや罪を超えて私たちを赦し、主イエスの仲間として生きる者としてくださっています。どうか、聖餐式に与るたびごとに、そのくすしき恵みを

私たちに覚えさせてください。季節は足早に進み、冬の始まりを感じるような

日々を過ごしています。インフルエンザの流行も心配されます。どうか、教会につながる兄弟姉妹の心身の健康をお支えください。今病床にある者たち、高齢のため困難を覚えている者たち、人生の試練の中にある者たちをお支えください。この拙き感謝とお祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

【聖霊を求める祈り】主よ、あなたは御子によって私たちにお語りになりました。いま私たちの心を聖霊によって導き、あなたのみ言葉を理解し、信じる者にしてください。あなたのみ言葉が人のいのち、世の光、良きおとずれであることを、御霊の力によって私たちに聞かせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

契約を守り抜かれる神

創世記17章1~14節 2025年10月26日(日)主日礼拝説教

                            牧師 藤田浩喜

 アブラムが、75歳で神様から召し出されて故郷を離れて出発してから、随分日が経ちました。出発の10年後に、アブラムは妻サライの女奴隷ハガルによって、イシュマエルという息子を得ました。それからさらに14年が過ぎ、イシュマエルは13歳くらいになっていたことでしょう。そこへ、神様は再び語りかけられます。アブラムは99歳になっていました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」(17:1)。                                  

 この言葉はアブラムに語られた言葉ですが、同時に聖書全体に響いています。聖書に記されているすべてのことは、もとを正せば、この言葉に由来していると言えるかもしれません。その神様は全能であるだけではなく、全知の神でもあります。全知全能の神。すべてのことを知り、なんでもできるお方。そのお方が、「あなたはわたしに従って歩みなさい。そして全き者となりなさい」と呼びかけられるのです。私たちは、この神様に従って歩むことが求められている。そこにこそ、人間の本来的な姿があり幸せの秘訣があるからです。

 「全き者となりなさい」という言葉は、私たちを戸惑わせるかもしれません。神様は全きお方ですが、私たち人間にも同じような完全さを求められるのでしょうか。「全き者」というのは、元来は、傷のないものを意味した言葉だそうです。「神様の約束に信頼し、穢(けが)れのない人生を送れ」、ということでしょう。しかし私たちは、誰だってそう願っているものです。そうしたいと思っても、それができないので悩み、苦しむのです。ただし神様もそのことをご存じです。だからこそ、それを全うできる道をつけてくださるのです。「わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう」(17:2)。

 「あなたを増やす」というのは、子孫を増やすということでしょう。さらに「これがあなたと結ぶわたしの契約である」(17:4)と、言葉を続けられるのですが、その契約には、具体的に二つのことが語られていました。

 ひとつは、アブラムが多くの国民の父となること。アブラムの子孫から王となる者が出ること。そしてこの契約がアブラム一代だけではなく、アブラムの子孫にも続くということでした(17:4~6)。

 もうひとつは、「カナンのすべての土地を、アブラムとその子孫に永久の所有地として与える」ということでした(17:7~8)。子孫繁栄の約束と土地所有の約束です。この箇所が現代のイスラエルとパレスチナの間に暗い影を落としていることは、申し上げなければなりません。

  

 続いて、その契約にちなんで、名前を改めなさい、と言われました。「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい」(17:5)。ここに初めてアブラハムという名前が登場しました。ちなみに「アブラム」とは「高い父」、あるいは「父は高くにいます」という意味であり、「アブラハム」とは、「多くの国民の父」という意味です。

 新しい名が与えられるということは、その存在が新しくされることです。だいぶ昔のこと、イースターに洗礼を受けられた方から「先生、洗礼名はいただけないのでしょうか」と聞かれました。私は考えたこともなかったので、とっさに「プロテスタントでは、普通、洗礼名は付けません。私ももっていないのですが……」と答えましたが、その後調べてみたところ、洗礼名の歴史的経緯が少しわかってきました。洗礼名は、元来、聖人等の名前が付けられていて、それはその名前の聖人による守護を願うということと結び付いていたようです。聖人崇敬を拒むプロテスタントは洗礼名を付けることもしなかった、ということかと思います。

 聖書の中には、他に、神様からイスラエルという名前をもらったヤコブ(32:29)、イエス・キリストからペトロという名前をもらったシモン(マタイ16:18)、あるいはクリスチャンになったときに、サウロから改名したパウロ(使徒13:9)などの例があります。新しい名前が与えられるというのは、その人の信仰生活において、それなりに意味のあることであるかもしれません。

 さて、この子孫繁栄の約束と土地所有の約束の間に、こう語られています。

「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる」(17:7)。

 なぜ神様がアブラハムと、そしてその子孫と契約を立てられるのか。それは、本当の意味で、「あなたとあなたの子孫の神となる」ためだということなのです。その契約を受け入れたしるしとして、「割礼を受けなさい」と言われました。

 ノアの契約のしるしは大空にかかる虹でしたが(9:13)、ここでは、アブラハムの体にそのしるしが刻まれます。割礼というのは、男性器の包皮を切り取るという儀式です。割礼は神とアブラハムとの間の、そしてイスラエル共同体との契約の調印のようなものです。これは、神のものである、神の所有であるというしるしです。そこには恐らく罪の穢(けが)れを切断して、清めるという意味が込められているのだと思います。

 もちろん割礼は過去の慣習ではなく、今日に至るまで、ユダヤ教の人々の間でずっと守られてきています。イスラエルというのは、「割礼を身に受けることによって形成される共同体である」ということもできるでしょう。割礼を受けているかどうかが、神の民であるかどうかのしるしとされたのです。

 ユダヤ教では、割礼を受けることで、神の民の一員とされました。だから男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、奴隷も割礼を受けるように促されたのです。「それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる」(17:13)と言われました。

 しかし聖書を読んでいきますと、ただ割礼を受けただけでは意味がない。内実がそれに伴われなければ意味がないということが、語られるようになっていきます。「心の包皮を切り捨てよ。二度とかたくなになってはならない」(申命記10:16)。新約聖書でも、使徒パウロが、「割礼を受けていても、神様の意志(律法)に従って歩んでいなければ意味がない」と言っております。「あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです」(ローマ2:25)。

 さて、これは私たちクリスチャンの信仰に、どう関係しているのでしょうか。ひとつ大事なことは、割礼は私たちキリスト教の洗礼の予型となっているということです。私たちの洗礼を、ある形で予め映し出しているのです。割礼と洗礼には、共通する部分と違う部分の両方があります。

 大前提として、割礼は男性だけの儀式であるということを指摘しておく必要がります。女性はその意味で、契約の受け取り手としては排除されています。

 さて、割礼が男性に対してだけの契約のしるしであるのに対して、洗礼というのは男にも女にも等しい恵みです。それは決定的な大きな違いであると思います。

 違いについて、もうひとつ言えば、洗礼というのは、それに先立ってその前提となる出来事がありました。それは、イエス・キリストの十字架と復活です。洗礼は、そのことに立ち返り、そのことを思い起こすものです(ローマ6:4~11)

 コロサイの信徒への手紙の中に、次のような文章があります。「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです(コロサイ2:11~13)。味わい深い言葉であります。これが新しい契約の中身です。古い契約に対して新しい契約、旧約に対する新約というのは、こういうことから来ています。

 割礼というのは、はっきりとわかる形で体に刻まれるだけに、形骸化しやすいという面があるかもしれません。割礼を受けているから、もう大丈夫。事実、そういうことがイスラエルの歴史の中で起こって来たので、預言者たちはそれを叱責したのでした。パウロもそういう形だけの割礼を問題にいたしました。

 しかしこのことは同時に、私たちの信仰儀式(聖礼典)である洗礼や聖餐も、同じように形骸化する可能性があることを、皮肉にも指し示しているのではないでしょうか。「洗礼を受けたから、もう大丈夫」。「聖餐を受けているから救われている」。それを形骸化させないためにも、いつもイエス・キリストの十字架と復活という、信仰の原点に立ち返って行かなければならないと思います。

 最初に引用した言葉ですが、神は、アブラムにこう言われました。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」(17:1)。私たちは全き者にはなれないと思ってしまう。しかしそのことを、神ご自身が全うさせてくださるのです。全き者になれない私たちが全き者として歩むために、神はイエス・キリストを遣わしてくださいました。そして、全き者になれない私たちが全き者として歩むために、その御子を十字架にかけることによって、私たちの罪を贖ってくださったのです。

 神様がこの契約を全うしようとすれば、その道しかなかったとも言えます。この言葉(17:1)を発せられたときから、キリストへの道がはるか彼方に見えていたと言ってもよいのではないでしょうか。それが、全能の神が、すべての選択肢の中で選び取られた道でありました。私たちが生きるために。私たちを全き者としていただくために。

 私は、割礼と洗礼、イスラエルの信仰共同体とキリスト教会を並べてみて、改めて心に留めたことがありました。それは、割礼が明らかにそうであるように、洗礼もまた、共同体の業だということです。イスラエルというものが割礼を身に受けることによって形成される共同体であるのと同じように、教会は、洗礼を身に受けることによって形成される共同体です。洗礼は、一見、個人の信仰の決心のしるしであるように思われがちです。しかし、私はそうではないと思います。洗礼を受けるということは、信仰共同体の一員になるということなのです。神様とその人が一対一で向き合ってクリスチャンとなり、そういう人が集まって教会を形成するのではありません。共同体の中に加えられるという形で、私たちは召されるのです。私たちの教会も、そのようにして形成された信仰共同体です。

 教会はキリストの体です。その教会において、神様の業がなされていく。キリストは教会のかしらであって、教会はキリストの体です。イエス・キリストは、今何を望んでおられるのか。今、この地上で何をしようとしておられるのか。それを祈りつつ模索し、実現していくのが教会です。主イエスの御後に従い、地の塩として働くこと、世の光として世を照らすこと。それが、私たちがこの共同体に加えられた意味なのだと思います。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神様、あなたの貴き御名を心から讃美いたします。今日も敬愛する兄弟姉妹と共に礼拝を守ることができましたことを、感謝いたします。神様、あなたは私たち信じる者たちをあなたの民とするために、契約を結んでくださいました。旧約の割礼、新約の洗礼はその契約のしるしです。そしてイエス・キリストは、私たちが神の民として、全き者として生きていくことができるように、ご自身を十字架に付けてくださいました。どうか私たちを、このイエス・キリストの十字架と復活を仰ぎ見つつ生きる者として導いていてください。季節は急激に進み、冬の始まりを思わせる日が続いています。どうか、教会につながる兄弟姉妹の健康をお守りください。群れの中には、高齢に伴う困難を抱えている者、人生の試練の中にある者、大切な存在を失って悲しみの中にある者がおります。どうか、ひとりひとりと共にあって、あなたの慰めと平安を与えていてください。この拙き感謝と願いを主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

五つのパンと二匹の魚を差し出して

列王記下4章42-44節 ヨハネによる福音書 6章1-15節 2025年10月19日(日)伝道礼拝説教 

           教師 渡部 静子

 かつて私が20代の頃、私の神学生時代です。その頃は日本キリスト教団の教会に属しておりまして、東京や神奈川、千葉地区の青年たちで盲人と晴眼者(目の見える人)たちの相互理解を目指す「ひとつの会」というのがありました。そこに私も参加していたことがありました。「ひとつの会」は、夏には富士山のふもとでキャンプをしたり、点字の学習会をしたりしたのですが、ある時のキャンプで、聖書の中でどの個所があるいは、どの人物が好きかということを発表し合うということになりました。

 愛唱讃美歌というのは50年も前でも、言われていたと思いますが、愛唱聖句というのはその頃はあまり考えたことがありませんでした。一応、神学生ですから、聖書は大体は読んで知っているつもりでしたが、え、好きな個所? 好きな人物? どうしよう。答える順番が来るので、どこかなぁ、どこかなぁと急いで考えて、今日の個所の大麦のパン五つと魚二匹を持っていた少年(ヨハネによる福音書6:9)と答えたのであります。そして、その考えは今も変わらないように思います。

 家を出るとき、お母さんが渡してくれた「五つのパンと二匹の魚」のお弁当、お弁当を持っていない人がいたら、分けてあげるのよ、と言われて持って出た。そんなお弁当を持ってイエス様に会いに行ったこの少年。自分はこの少年のような者だと思ったのです。

 さて、主イエスが五つのパンと二匹の魚で男五千人を養われたという奇跡の出来事は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書全部に記されている出来事です。4つの福音書全部に記されている奇跡は、このパンの奇跡が唯一のものです。そして、ヨハネ福音書は一番最後に書かれた福音書で、ふつう共観福音書に記されていない主イエスの言葉や出来事を記しているのですが、共観福音書に記されているのに、さらにヨハネも記している奇跡がこのパンの奇跡なのであります。それはこのパンの奇跡の出来事の重要性と、それから、ヨハネ福音書には他の目的がありました。どういう目的か、そのことはあとでお話したいと思います。         

 ヨハネ福音書では、パンの奇跡はガリラヤ湖の向こう岸の山の上で起こったと記します。大勢の群衆が主イエスを追って集まって来たのです。主イエスが病人たちをいやす奇跡を見たからだと言います。ちなみに、マルコ福音書は、そんなふうにして集まってきた群衆は、「飼い主のいない羊のような有様」だと記し、それを主イエスは「深くあわれまれた」と記すのはマルコとマタイです(マルコ6:34, マタイ14:14)

 ヨハネによる福音書のこの個所にはこの言葉は記されていないのですが、少し寄り道をしましょう。「あわれむ」という言葉は、単なる同情ではありません。岩波訳の聖書はここを「腸(はらわた)のちぎれる想いに駆られた」と訳しています。「腸(はらわた)のちぎれる想い」、それほどの深い愛の御心であります。

 「腸のちぎれるような思い」という感情を私たちは持ったことがあるでしょうか。いつ、どんな時に、どんなことで、そのような思いになったでしょうか。自分が深く信頼していた誰かに裏切られたときに、腸がちぎれるほどの悔しさを味わうということがあるかもしれません。あるいは、大切な人が大きな苦しみの中にあるときに、何もしてあげられないけれども、腸がちぎれるほどの苦しみを一緒に味わうようなことがあるかもしれません。あるいはまた、ガザ地区の人たちの惨状に、そのような思いになることもあるかもしれません。

 主イエスが味わわれた「腸のちぎれる思い」とは、群衆が「飼い主のいない羊」のような有様だったから、でありました。飼い主のいない羊。羊にとって飼い主である羊飼いがいなければ生きていくことは出来せん。牧草がどこにあるか、水がどこにあるか、わかりませんし、野獣や羊泥棒に襲われる危険もあるのです。まさに命の危機であります。主イエスを追い求めて集まってきた群衆は、まさに主イエスの目には飼い主のいない羊たちに映ったのでした。飼い主のいない羊の惨状をご存じだったからです。

 そこで主イエスは彼らを養うことを考えられたのです。「人はパンのみで生きるものではありません」が、しかし、人はパン無しで生きることも出来ないのです。飢えの問題は人間にとって深刻な問題であることを主イエスはご存じでした。

 そこで主イエスは12弟子の一人フィリポにお尋ねになりました。「この人達に食べさせるには、どこでパンを買えば良いだろうか」(5節)フィリポは、この奇跡が起こったベトサイダ出身でしたから、その地方に通じていると思われたからでしょう(ヨハネ1:44, ルカ9:10)。フィリポは答えます。「(たとえパンを売る店があって)めいめいが少しずつ食べることにしたとしても、200デナリオン分のパンでは足りないでしょう」(7節)フィリポは大勢の群衆を前に当惑しながら答えます。

 「200デナリオン分のパン」、1デナリオンは、ローマの貨幣で成人男子の一日の日当であります。200デナリオン、すなわち、200日分、7か月の労働に対する賃金であり、主イエスの時代と現代では貨幣価値も全く違いますが、それでもそれは途方もない金額となり、自分たちにはまったく対応できないものでありました。

 すると、もう一人の弟子アンデレが代わって主イエスに言うのです。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう」(9節)。五つのパンと二匹の魚、それはわずかなもの、小さいものの象徴のようです。男だけでも5千人もの人々を前にして、全く、何の役にも立たないかのように見えるものです。しかも、ここでヨハネは、この五つのパンと二匹の魚を持っていたのは少年だと記します。そして、パンが「大麦のパン」だと、さらに詳しく記しています。大麦のパンは、さらに質素な食事であります。貧しい人々のパンでありました。

 主イエスはどうされたでしょうか。主イエスは弟子たちを促して人々を座らせます。そこには草がたくさん生えていました。この地域に草が茂るのは、春の雨の直後の3月末から1か月ほどだそうです。時期は早春でありました。そこで忘れられない出来事が起こったのです。「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた」(11節)すると、人々は満腹したのです。人々は満腹したというのです。

 先ほど旧約聖書の列王記下4章42節以下を朗読していただきましたが、そこには預言者エリシャが大麦のパン20個で空腹の人々100人の腹を満たした出来事が記されています。パンが20個で100人。しかし、それをはるかに超える出来事が今、主イエスによってなされたのでありました。イエス・キリストは預言者エリシャをはるかに超えるお方であることが明らかにされた出来事でありました。

 主イエスは言われます。人々が満腹したとき、主イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった(13節)

 なぜパンの屑を集めさせたのでしょうか。ユダヤの習慣では、奴隷のために何かを残すことがならわしだったそうです。自分たちだけのことを考えていない、ユダヤの習慣だそうです。そのパンの屑は、日ごろ持ち歩いていた小さな籠に集められました。弟子たち一人ひとりが持っていた十二の籠がいっぱいになったのでした。

 主イエスは何もないところからではなく、わずかなものであっても、そしてそれが質素な、貧しいものであっても、それを用いて、パンの奇跡をなさったのでありました。13節には、「集めると、人々が大麦パンを食べて」と、もう一度、食べたのは「大麦パン」だと記されているのです。ヨハネ福音書だけの記載の仕方です。

 私はまさに、ここに出て来る少年に、あるいは少年が持っていた大麦パンに、自分自身を重ねています。自分自身も、自分の手にあるものも、それは本当に小さく貧しく、まさに無に等しいものにすぎません。しかし、それが主イエスによって受け入れられ、祝福され、主の御用のために用いられるとき、神様は実に不思議なみわざを行ってくだるということを味わってきた45年でした。この少年はどんなに喜んだことでしょうか。「ぼくの持ってきたパンと魚、イエス様のために使ってくださいと差し出したら、イエス様はとても不思議なみわざをなさったんだよ」。それは震えるほどの喜びと感動を味わった、決して忘れられない出来事となったのではないでしょうか。

 私たちの手の中にあるもの、それはどんなに小さく、わずかであり、決して立派ではないものであっても、主イエスの御前に差し出され、主イエスが用いられるとき、それは一粒のからし種が、地上のどんな種より小さいからし種が、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなり、空の鳥が巣を作れる程大きな枝を張ると、主イエスは語られましたが、とてもふしぎなみわざをどんなにたくさんの人たちが味わい経験してきた歴史でありましょうか。私たち自身が、そして私たちの持っているものが貧しいこと、弱いことを嘆くことはありません。恥じることもないのです。ただ、主に信頼して、謙虚に主にささげる、そのことが大切なのであります。         

 さて、ここで終わりではありません。ヨハネ福音書は、他の福音書のように、5千人の給食の出来事を記すのですが、それだけではありません。ヨハネ福音書6章全体が、すなわち、6章71節までが、一つの主題で貫かれているのです。いわば、1-15節は、さらに大切なことを展開していくための導入のようになっているのです。

 ヨハネ福音書は、マタイ、マルコ、ルカ、三つの福音書が伝えていないこと、「五つのパンと二匹の魚」の奇跡は、それを持っていたのが少年だったこと、しかも、そのパンは大麦のパンという質素な、貧しい人たちが食べるものであることを記しているのですが、そのこと以外に、いや、そのこと以上に大切なこととして記していることがあるのです。それは6章の35節であります。

 ヨハネ福音書はパンの奇跡をこの真理に結びつけるのです。35節「わたしは命のパンである」。48節にも繰り返されています。そして、それは聖餐式のパンに重ねられていくのです。命のパンであるイエス・キリストご自身が一人ひとりに分け与えられる。その命のパンをいただいて生きる人は永遠の命を与えられるという神の恵みの深さを語るのです。もし、このときの少年が、長じてこの真理の深さを知ったなら、イエス様ってすごいなぁ。あのとき大麦のパンを差し出して本当に良かったなぁと、聖晩餐にあずかりながら、イエス様のみからだであるパンをしみじみ感謝しながら、いただいたのではないかと想像するのです。

 私はさらに最後に短くもう一つのことをお話したいのです。神様は、大麦のパンさえも、差し出されるときに用いてくださる恵み豊かな方であります。そのことを知って感謝です。で終わってはいけないのです。

 個人的なことですが、私はこの3月で退職したのですが、退職してもなかなか時間がとれず、何か月かかかって、やっと本の処分や書類の整理等が終わりました。その時に発見したのですが、昔々、キリスト新聞に執筆を依頼されて書いたものが出てきたのです。

 その中にこんな一文がありました。それは神学生のときに読んだ本に熱く心を動かされ共鳴したというもので、それはボンヘッファーやバルトの言葉です。「キリスト教信仰の核心は『他者のための存在』であるイエスの存在にあずかる新しい生である。教会は他者のために存在するときにのみ教会である」。「私と私の信仰が豊かにされる、それが信仰の目標ではない。むしろ、神のみわざの完成が目標である。すべての者は福音の恵みを受けた者として、他の枝えだの救いのために徹底的に仕える者とされる。そのために召されているのである。」ボンヘッファーやバルトの本を心を躍らせて読んだことが記されていました。この点に関しても、私は神学生時代とあまり変わってはいません。

 私は「慰安婦」問題との取り組みを与えられて、その関連の情報がメーリングリストで届きます。少し前のものですがこんなメールがありました。「イスラエルのイラン攻撃から、報復の連鎖が始まっています。学術会議のこと、東海村村長の変身、ロサンゼルスへの州兵の派遣、そして、ガザの惨状、次々起こることに心が引き裂かれそうです。

 今、ガンジーの言葉に惹かれます。『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』」。 

 確かに、私たちが世界を変えることはできません。しかし、世界によって変えられてしまう。どうせやっても、とあきらめてしまうことが問題なのです。世界によって変えられないようにするために、私たちも目前のことに振り回されるのみではなく、小さな取り組みを継続するのです。それはキリストの十字架の贖いをいただき、説教と聖晩餐に養われているのですから、小さな応答の歩みをささげるものとされたいと願うのです。

【祈り】

父なる神さま、

 あなたの御名が崇められますように。今日は、あなたの愛したもう南柏教会の兄弟姉妹たちと共に礼拝をささげる機会を与えられ、心から感謝いたします。あなたは小さな私たち一人ひとりをいつくしんでくださり、私たちを通してさえ、あなたのご用をなさせてくださいます。さらに、あなたにお仕えすることを通して、私たちの信仰を養ってくださいます。

 心から感謝いたします。あなたはまことに、私たち朽ちる者が朽ちてしまわない、命の道を開いてくださいました。御子イエス・キリストこそ、そのために天から降ってこられたまことのパンであられます。あなたは毎週、主日ごとに牧師を通して、イエス・キリストご自身からの命のパンの養いに豊かにあずからせてくださっています。その福音宣教と教会形成のみわざがさらに祝福されますように。どうか、この群れが主イエスの恵みに力強くこたえて歩む歩みであらせてください。

 この週もそれぞれが遣わされていく家庭や職場、学び舎、地域社会を祝福してくださり、そこにおいて一人ひとりが主イエスの恵みを分かち合い、また隣人に仕える歩みをなさせてください、特に傷ついた隣人を気遣い、小さくされている人たちを覚える歩みであらせてください。 

 これらの祈りを主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。

望みに支えられて生きる

創世記3章15-19節 マルコによる福音書8章22-26節 2025年10月12日((日)特別伝道礼拝説教

教師 崔 炳一(チェ・ピョンイル)

 私は聞いた悲しいお知らせを紹介します。それは、神学大学院で3年間一緒に学んでいた友人のことです。彼は卒業後には東マレシーア(ムスリム地域)で宣教活動をしていました。彼が血液がんで治療を受けているとのことです。彼の報告によれば、人のこぶしの半分くらいの大きさのがん取り除いたとのことです。でも、また違うところで腫瘍がみつかったのです。それを取り除けるとまた、ふともものほうにもがんがみつかった。何度も手術して取り除いてもきりがない。仕方がなく宣教活動を休止してソウルの大学病院で入院生活をしているのです。これまでで25以上の放射線治療を受けていたのですが、最近は頻度を少なくして10回くらいの放射線をうけている。でも、そのあびる放射線のレベルは25回以上のときより強いとのことです。

 そんな彼ですが、報告の最後にローマの信徒への手紙6:13を書き、この御言葉から言い尽くせない慰めを受けており、治療を感謝して受けていますと書いたのです。「また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい」。がんの塊のような自分の身体を神にささげたい。これが今、がんと闘っている友人牧師の告白であって、まさに彼の信仰であります。創世記3章に書いてあるように、「塵に過ぎない」人間。でも、人生の最後を主にささげたい。それが望みであります。

 信仰が素晴らしい。すごい忍耐だと軽く言えそうなことではないと思います。もし、自分がこういうことに遭遇したら果たしてあのような告白ができるだろうか?と問いかけると、自信はありません。でも、一つ確かに言えるのは、人間苦しみの中で神のことばがあったことです。神が御ことばを通して、友人の苦しみの中に入ってくださったことです。そこで、彼はこれまでとの違う新しい信仰の世界へと導かれており、まさに今そういうことを経験しているとのことです。

 私は「自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ」を通して、ガラテヤの信徒への手紙2:19-20を思い起こしました。「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです」。神のことばが臨むとき、また神がことばを通して神の選びを示すとき、そのときから新しい経験の世界へと導かれるのです。それが私の友人の望みであって、彼は、苦しみの中においても望みに支えられているのです。でも、私たちは問うのです。もし、自分がこういう状態だったら。つまり先の見えないときに果たして望みに支えられて生きることを願うのだろうか、ということです。皆さん、如何でしょうか。どう思うのでしょうか。皆さんはなんと答えるのでしょうか。

 さて、今日の聖書箇所に戻りましょう。マルコによる福音書8:22-26です。ここにはある盲人が出ており、彼が主イエスに癒されるのです。目が見えないという障害を背負って生きるとうことって、本当に不幸な状態です。おそらく私たちはその苦しみを知らないと思います。この盲人を主イエスは癒されるのです。23節ですが、主イエスは「彼の目に唾をつけ、両手をその人の上に置きます」。すると、かすかに見えたのです。人が木のように見えたのです。それで主イエスはもう一度、両手を目に当てるのです。すると25節ですが、「何でもはっきり見えるようになった」のです。

 この箇所を読むとき、この盲人は生まれながら盲人ではないことが分かります。それは彼がイエスに「人が木のように見える」と言ったからです。この盲人は、一度くらいは、木をみたこともあり、人を見たこともあります。おそらく途中で何かの原因によって失明をした人だと思うのです。生まれるときから目が見えない。光を経験したことのないので、失礼ですが、苦しいけど途中で失明した人のほうがもっとも苦しいはずです。見えるはずだった人が見えなくなった。治る可能性はほぼゼロ。つまり絶望です。それは人生の終わりを告げることです。生きていても死んでいる状態とやや似ています。生きる意味がない。不幸の不幸です。毎日見えるのはおそらく私たちが目をつぶって見えるような暗い世界のみです。朝起きても、夜になっても同じくらい世界と付き合うのです。望みなしの毎日の中で息をしているだけでした。人々から与えられるもので生きるのです。どんな楽しみがあったのでしょうか。生きる楽しみのない人生って、ほぼ絶望ではないでしょうか。

 しかし、この盲人が主イエスに出会うチャンスが与えられたのです。そして目が見えるようになったのです。この盲人と先ほど紹介した私の友人は同じ恵みを経験しているのだと思います。盲人は主イエスに出会って「光の世界へと導かれた」のです。友人は「キリストの言葉が与えられ、それに支えられ明日への生きる勇気を見つけることができた」からです。二人ともキリストにつながっているのです。主イエスが希望であって、主イエスとの出会いによって望みに支えられる経験ができたのです。目には見えないイエスですが、聖書の御言葉を通して存在を表すのです。それを拒むことはできないのです(ことばを拒むことはできます。また、語られることばを拒むことも十分可能です。でも、見えないけれど、存在するイエスを拒むことはできないのです)。光である主イエスの前で人間を苦しめた暗闇が過ぎ去ったことと同じです。望みとは何か?それはすべての状況が良くなることではないと思います。確かにそれも希望だと言えますが、そのようになるのは主イエスにゆだねることが許されたからです。私たちと私たちの教会が、また社会が主イエスと出会うことができ、そこで御言葉が与えられ、それによって望みなしの自分の明日を委ねることができるのであれば、そのようになると、まさにそのときが、そのことが望みであり、望みに支えられるときなのです。

 Fanny Jane Crosbyという人をご存知ですか。1820-1915(94歳)に召された女性で、およそ生涯において8000~10000以上の讃美歌歌詞、讃美歌をつくった人として知られています。彼女は生まれて6週目のとき医師の過ちで視力が弱くなり、それが原因で視力を失うのです。だからクロスビーほぼ94年間、暗い世界で生きていたのです。彼女の父も彼女が幼いときに天に召されます。家は貧しくなり、生計を母が立てたため、彼女は祖母によって育てられるのです。その祖母は信仰の深い人でした。目は見えないが、祖母の教育によって新約聖書をほとんど暗記ができ、旧約聖書をも創世記から申命記までは暗記し、詩編、ルツ記、箴言をもすべて覚えることができたそうです。しかし、この祖母もクロスビーが11歳のとき天に召されます。

 貧しさの中でもクロスビーの唯一の慰めは、イエス・キリストでした。彼女は毎日祈り、神の導きをひたすら求めていたのです。1834年盲人学校に奨学生として入学が許されます。彼女が書く詩は讃美歌の歌詞となり、いつの間にか彼女は有名な讃美歌歌詞を書く人になっていたのです。けれども、決して平坦な人生ではありませんでした。結婚をしたが、1年後に生まれた子供が生まれて間もなく死ぬ。でも、彼女は彼女慰める人々に、「神は私たちに子どもを授けてくださいました。でも、天使らが降ってきて子どもを天に連れていきました。私たちは子どもを神の玉座に委ねました」と言いながら、むしろ彼女を慰める人々を慰めたそうです。また、愛する夫も天に召されるのです。悲しみと苦しみ、また貧しさが彼女の人生でしたが、生涯において讃美歌歌詞を書き、毎週、彼女の説き明かしを聞くために集まる人々の前で死ぬときまで神のことを伝えたのです。

 クロスビーはアメリカ人が選んだ大統領より尊敬される人だと言われています。彼女は「自分は生まれ変わっても盲人として生まれることを願う。なぜならば、一番先に見る顔がキリストの顔だから」と言ったのです。クロスビーは人生の望みがキリストであって、まさに望みに支えられて生きていた人でした。彼女が書いた讃美歌の歌詞を紹介します。タイトルは「救い主イエスとともに歩む道は」(All the Way My Savior Leads Me)です。『聖歌590番』です。実は私がもっとも好きな讃美歌の1曲ですし、またアメリカのクリスチャンの好きな讃美歌の一つでもあります。

「1、すく主イエスと、ともに行くみは、とぼしきことなく、おそれもあらじ。イエスはやすきもて、こころたらわせ、ものことすべてを、よきになしたもう、ものことすべてを、よきになしたもう。

 2、坂道につよき、御手をさしのべ、こころみのときは、めぐみをたもう。よわきわがたまの、かわきおりしも、目の前の岩は、さけて水わく、目の前の岩は、さけて水わく。

 3、いかにみちみてる、めぐみなるかや、やくそくしませる、家にかえらば。わがたまは歌わん、ちからのかぎり、君にまもられて今日まできぬと、君にまもられて今日まできぬと」。

 いかがでしょうか。とても力強い讃美歌です。ぜひ、You Tubeで聞いてみてください。励まされ、慰められるのです。聞くだけでもキリストに望みを置くことができ、すでに支えられている思いが与えられるのです。苦しき人生がキリストへの望みによって満たされているからです。

 それでは、いつが望みをいだくことのできるときでしょうか?それは、主イエスとの出会いによって主イエスがともにいるときであり、すべての抑圧や偏見、また不信仰から解放されるときです。おそらく、マルコによる福音書8:22-26に出てくる盲人は、偏見の中で生きていたと思います。それは、ヨハネによる福音書9:1-12ですが、生まれつきの盲人を癒す主イエスの奇跡の物語がそれを語っているからです。生まれつき目の見えない人。確かに不幸な人です。その人を見かけられたとき、弟子たちは「この人が生まれつき目の見えない状態で生まれたのは誰の罪ですか?」と主イエスに聞きます。弟子たちがこう聞いたのは、当時のユダヤ人の迷信です。人間が罪を犯したので、神罰をうけたのだという迷信です。そこで主イエスは、誰の罪のせいではなく、「神の業がこの人に現れるためである」と言い返します。

 この主イエスの答えは素晴らしいと思います。弟子たちは原因を考えたのです。でも、いくら原因のみを探っても不幸な現実からこの盲人を解放してあげることはできないのです。主は、しかし神の業が現れるためだと言うのです。見えない現実のみならず、人々から罪深い人と言われていた精神的、心のケア―まで考えてこう言ったのです。癒しによって目が見えるようになったのですが、すべての迷信からも解放されたのです。実は、この盲人のみならず、弟子たちも目が開かれたのではないでしょうか。新しい信仰の世界へと導かれたのです。本当は弟子たちも迷信に囚われていたのです。神の働きがすべての迷信から解放されたのです。こういうときに人間は明日への望みを抱くことができると思います。

 苦しみの原因のみを、あるいは不幸な現実のみばかり議論すると、何の答えは出ておりません。そういうときに、つまり私たちからは先の見えないときにも必ず神が働いておられるときです。私たちが見えない状態に囚われており、本当にみるべきものを見逃すときに、神への信仰によって光が見えてくると神への望みを託すことができるのです。そして、もし、私たちがこういう姿を次の人に見せ、神への思いを伝えることができれば、どんなときにも望みを託す姿を次の人に伝えることができれば、そこに信仰継承がすでに起きるのです。それは、彼らも主イエスに望みを託すことができるからです。それがまさに人生を主イエス・キリストに委ねることではないでしょうか?

 苦しみや絶望の中でも、希望を失わずに生きる力があります。それは、イエス・キリストとの出会いによって与えられる「望み」です。共に希望の光を見つけませんか? 病や苦しみ、将来の不安に押しつぶされそうになることはありませんか?そんな中でも、イエス・キリストとの出会いは、私たちに新しい希望と生きる力を与えてくれます。救い主イエスとともに歩んでくださることを信じながら「望みに支えられて生きる」意味深められることを祈りつつ、仕えていきたいと思います。

神が与えてくださる幻

マルコによる福音書14章53~65節 2025年10月5日(日)主日礼拝説教

                                             牧師 藤田浩喜                   

 ゲツセマネで祈られた主イエスは、ユダの裏切りによって捕らえられ、大祭司の屋敷に連れて来られました。そこに、祭司長、長老、律法学者たち、つまり当時のユダヤの政治・宗教・治安を委ねられておりました最高法院のメンバーが集まって来ました。この最高法院と訳されておりますのは、サンヘドリンと呼ばれる議会で、70名の議員と議長である大祭司によって構成されていました。そこで主イエスの裁判が行われたと聖書は告げています。

 しかし、この時の裁判にはいろいろと異常な点、不当な点がありました。第一に、この裁判は夜に、しかも大祭司の屋敷で行われたということです。当時、サンヘドリンは昼間に、神殿の中で行われなければならないと決まっていました。しかし、主イエスが捕らえられたのは夜。神殿はもう閉まっています。本当ならば、次の日の朝を迎えてから神殿で行われるべきものでした。しかし彼らは、大祭司の家で、夜に主イエスの裁判を行ったのです。

 第二に、この裁判は主イエスを死刑にするための裁判であったということです。裁判というものは、その人に罪があるかないかを明らかにして、罪状が確定したら、罰を決める。そういうものでしょう。しかし、この時の裁判は、55節に「祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めた」とありますように、主イエスを死刑にするために開かれた裁判でした。結論が先に決まっているのです。ですから、これを裁判と呼んでよいのかどうか。まことに異常で不当な裁判でした。

 第三に、この裁判においては、主イエスに不利な偽証が何人もの人によってなされました。偽証は、十戒の第九戒においてはっきり禁じられていることです。しかも、その偽証を求めたのが、サンヘドリンのメンバーたちだったというのです。十戒を徹底して守ることによって神様の前に義とされる。これを信条としているのが、当時のユダヤ教の指導者たちである彼らでした。それなのに、自ら十戒を破り主イエスを死刑にしようとする。これもまことに異常なことであり、不当なものした。

 第四に、偽証が食い違っていたのでそれを採用することができず、主イエスの罪状を定めることができなかったというのです。ユダヤの裁判において、証言は複数の人によって証言されなければ採用されません。多分、当初は祭りの間は主イエスに手を出さないことにしていたのに、ユダの裏切りによって急遽主イエスを捕らえて裁判することになったからでしょう。偽りの証言をする者たちが、綿密に打ち合わせをして口裏を合わせるということができず、証言が食い違ってしまったのです。ここで証言が成立しないのですから、主イエスは無罪放免とされるべきでした。しかし、そうはならなかった。全く異常なことであり、不当なことでした。

 今、この主イエスの裁判の異常性、不当性について述べてきましたが、最後に、根本的にこの裁判が異常であり、不当である理由を述べます。それは、この裁判そのものが「人間が神を裁いている」という点です。人間が神様を裁く。全く倒錯しています。これがこの裁判の最も根本的な問題なのであり、人間の罪とは何であるかということが、はっきり顕れているところなのです。

 さて、人々が為した偽証の中で、一つだけがここに記されています。58節「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました。」これは偽証です。主イエスはこのようには言っていないのです。しかし、全くの偽証かというと、そうでもありません。ヨハネによる福音書2章19節に、主イエスが「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われたことが記されています。主イエスがここで言われた神殿とは、御自身の体のことでした。主イエスが十字架に架かって死に、三日目に復活される。それによって、人間と神様との間の新しい親しい交わりが与えられる。また、キリストの体としての教会が建てられる。そのことを言われたわけです。神殿とは、神様が御臨在され、そこにおいて人間と神様との交わりが与えられるところです。主イエスは、それが御自身の十字架・復活によって、新しいあり方となる。目に見える神殿ではなくて、キリストの体という教会によって与えられるようになると告げたわけです。

 しかし、人々はそうは聞かなかったのです。主イエスは自ら神殿を打ち倒すとは言っていないのです。そんなつもりもありませんでした。しかし、彼らにはそう聞こえたのです。彼らにしてみれば、神殿といえば、目の前にあるエルサレム神殿しか考えることができませんでした。だからそれを三日で建て直すとは、主イエスが奇跡によって、再び目に見える神殿を建てると言ったと受け止めたのです。当時のユダヤ社会は、このエルサレム神殿を中心とした社会でした。ですから、その神殿を立て直すことを主張する主イエスは、ユダヤ社会を破壊する者、ユダヤ社会に争乱を生み出す者でしかなかったのです。

 

 さて、次々と不利な偽証が為される中、主イエスは沈黙を守ります。61節「イエスは黙り続け何もお答えにならなかった」とある通りです。私たちは、この主イエスのお姿に、預言者イザヤがイザヤ書53章7節において預言した、苦難の僕を見るのです。イザヤはこう預言しました。「屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。」まさに主イエスは、これから御自分の上に下される十字架の死を思い、これを受け入れ、覚悟の上で何もお答えにならなかったのでしょう。御自身を死刑にしようとしているこの人たちの罪を担って、代わって神様の裁きをお受けになるために、主イエスは黙って何も言われなかったのです。

 しかし、大祭司をはじめこの場にいたサンヘドリンのメンバーたちには、そのような主イエスのお心は分かりません。偽証する者を立てて証言させたけれども失敗し、罪状を定めることさえできない。大祭司たちの方が追い詰められ、焦っていたのかもしれません。大祭司は立ち上がり、真ん中に進み出て、自ら主イエスに尋ねました。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」それでも、主イエスは何もお答えになりません。

 遂に大祭司は核心に迫る問いを主イエスに投げかけました。「お前はほむべき方の子、メシアなのか。」「ほむべき方」というのは、神様と言うのをはばかって使う言葉です。なので、ここで大祭司は「お前は神の子、メシアなのか」と問うたということです。これに「はい」と答えれば、死刑になるに決まっています。主イエスも分かっていました。しかし、主イエスはこうお答えになったのです。

 62節「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」ここで「そうです」と訳されている言葉は、単に「そうです」と言われたのではないのです。これはギリシャ語で「エゴー、エイミ」という言葉ですが、英語で言えば「I am 」というだけの言葉です。しかしこれは、神様が自らを名乗る時に使われる言葉なのです。出エジプト記3章において、モーセが神様からの召命を受けます。この時のモーセと神様とのやり取りの中で、モーセが神様の名前を問います。その時神様は「わたしはある」と答えられたのです。これがギリシャ語に翻訳されると「エゴー、エイミ」となるのです。つまり主イエスは、「わたしは神である。あなたたちはわたしが全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」そう宣言されたということなのです。

 主イエスはこれまで、御自分が神の子、メシアであることをあからさまに言うことはなさいませんでした。弟子たちに語ることはあっても、「だれにも言ってはならない」と口止めしておられました。しかし今、このことを言えば死刑になる、それが分かりきった場面において、主イエスは自らが神の子、メシアであることを明言されたのです。

 なぜでしょうか。それは、主イエスは神の御子として十字架につく。救い主メシアとして十字架につく。そのことをはっきりさせるためでありました。主イエスは神の御子として、すべての者に罪の赦しを得させる救い主として、十字架にお架かりになるのです。ここは曖昧にすることができないことでした。これを曖昧にしてしまえば、主イエスが地上に来られ、数々の奇跡をなし、教えを語り、そして十字架に架かって死なれるということ、そのすべての意味が曖昧になってしまうからです。それはできないことでした。

 主イエスは十字架に架かり、三日目に復活し、四十日後に天に昇り、全能の父なる神様の右に座られます。そして、そこから再び来られて、生きている者と死んでいる者、すべてを裁かれる。これは、初代教会以来、キリスト教会が保持してきた信仰です。使徒信条において「十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神様の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」と告白されている通りです。そして、この主イエスに対する信仰は、主イエス御自身がここでお語りになり、約束なさったことに根拠を持っているのです。

 主イエスは今、どこにおられるでしょう。復活の体をもって、全能の父なる神様の右におられ、神様と共に世界のすべてを支配しておられます。私たちのために執り成してくださっています。私たちは今、その主イエスを信仰のまなざしをもって見上げ、拝んでいるのです。それが私たちの礼拝なのです。

 そして、その主イエスは、時が来れば再び天より下って来られるのです。その時、何が起きるのでしょうか。神様の裁きです。その時には、生きている者も、すでに地上の生涯を閉じた者も、例外なく裁かれるのです。神が、神の子が、私たちを裁くのです。この終末において、人間が神様を裁くという倒錯した不当な裁きは退けられ、神様による、神の御子による正当な裁き、まっとうな裁きが行われるのです。私たちはその日を待ち望み、その日に向かって、この地上の歩みをなしているのです。その歩みにおいて何より大切なことは、神様を神様とするということです。私たちを造り、私たちを支配され、私たちを導いてくださっているお方として、これを愛し、これを信頼し、これに従うのです。

 大祭司は、この主イエスの言葉を聞いて、衣を引き裂いて言いました。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒瀆の言葉を聞いた。どう考えるか。」この大祭司の言葉を受けて、そこにいた最高法院の人々は、主イエスを死刑にすべきだと決議しました。このように、主イエスが十字架に架けられたのは、主イエスが自ら神の子、メシアであることを明言されたからです。主イエスは、神の御子として、メシアとして、十字架に架けられることになったのです。

 そして、主イエスの死刑が決められると、人々は主イエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、平手で打ちました。何ということでしょう。これが群集心理とでも言うべきものでしょうか。このようなことを、人は平気でするのです。自分より弱いと思ったら、その相手を寄ってたかって、やっつけるのです。ここにも私たちの罪の姿が顕わに現れています。しかし主イエスは、この時にもきっと黙っておられたことでしょう。私たちは自分がそのような弱さと醜さを宿していることを、自覚しなければなりません。そして、私たちが自らのこの罪に支配されることなく、神様の御支配の中に生きることができるように、ご一緒に祈りを合わせたいと思います。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神さま、あなたの御名を心から褒め称えます。今日も敬愛する兄弟姉妹と共に礼拝を守ることができましたことを感謝いたします。大祭司の館で主イエスが裁判を受けられた箇所を学びました。主を亡き者としようとする悪意が渦巻く中で、主イエスは自らが神であり、救い主として十字架の死を遂げることを明らかにされました。私たちは主イエスの献身によって罪赦され、復活の命に生きるものとされました。どうか、そのことをいつも思い起こすことができますよう、私たちを導いていてください。今週は水曜日から第75回日本キリスト教会大会が行われます。この教会会議の上に、あなたの恵みと祝福を注いでいてください。このひと言の切なるお祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

【聖霊を求める祈り】主よ、あなたは御子によって私たちにお語りになりました。いま私たちの心を聖霊によって導き、あなたのみ言葉を理解し、信じる者にしてください。あなたのみ言葉が人のいのち、世の光、良きおとずれであることを、御霊の力によって私たちに聞かせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

恐れからの自由

マルコによる福音書14章43~52節 2025年9月28日(日)主日礼拝説教

                              牧師 藤田浩喜

 今朝与えられている御言葉は、主イエスがユダの裏切りによって捕らえられる場面です。この直前が、先週見ましたゲツセマネの祈りの場面でした。その最後のところで、主イエスは弟子たちにこう言われました。41~42節「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た」。ここには、十字架に向かって敢然と歩まれる主イエスの姿がはっきり記されております。主イエスは「時が来た」と言われます。この「時」とは、捕らえられて十字架へと歩む時です。そしてこの「時」は、神様が備え給うた時なのです。主イエスは、神様の御計画の時が来たことを悟り、そして言われたのです、「立て、行こう」。主イエス自らが行かれるのです。

 「さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た」(43節)とあります。一体、この時主イエスを捕らえに来た人々は、どれほどの人数だったのでしょうか。主イエスがすんなり捕らえられましたので、特に乱闘騒ぎになることもなく済んでしまいました。ですから何となく、それほど大勢ではなかったのではないか、私は長い間そんなふうに思っておりました。聖書には人数は記してありませんので分かりませんけれど、ヨハネによる福音書には、この時「一隊の兵士と千人隊長」が一緒であったことが記されています。最低でも百人、あるいは数百人の人々がやって来たのでしょう。主イエスを捕らえに来た人々は、手に手に剣や棒を持っていました。この時、主イエスが何かとんでもない不思議な業をするかもしれない、そんなふうにも思っていたかもしれません。ですから、きっと恐る恐る近づいたことでしょう。泰然自若としている主イエス。一方、手に手に剣や棒を持ち、大勢でありながら恐る恐る近づく人たち。

 その先頭にユダがいました。ユダは、自分が接吻する人が主イエスだと合図を決めておりました。月明かりがあったとはいえ、12人のうちの誰が主イエスであるのか、見分けるのは容易ではなかったからです。この「接吻する」という言葉は、「愛する」とも訳せる言葉です。この接吻は愛する者、家族や友人などと交わす挨拶でした。この場合、互いに両手で抱き合って、頬や頭に接吻するのです。ユダはいつもと同じように、「先生」と言って主イエスに接吻しました。ユダはこの愛の印である接吻をもって、主イエスを裏切ったのです。

 この時、主イエスはこのユダの接吻を避けることをされませんでした。主イエスはこれを受けたのです。十字架への歩みを決めておられた主イエスにとって、今さらこのユダの裏切りの印としての接吻を拒む必要はなかった。そうなのかもしれません。しかしそれ以上に、主イエスにとってユダは、この時もなお「先生」と言って接吻してくる弟子の一人だったのではないか。私にはそう思えてならないのです。

 他の弟子たちはこの時、皆主イエスを見捨てて逃げてしまったのです。そして、もう少し後でペトロは、主イエスを三回否認するのです。そのような弟子たちを主イエスは見捨てられたでしょうか。そうではなかった。復活された主イエスは、彼らを再び弟子として召し出し、世界宣教へと遣わしたのです。主イエスは弟子たちを見捨てたりはしていないのです。であれば、ユダもそうだったのではないか。ユダにとっては裏切りの印でしかなかった接吻を、主イエスはいつもと同じように、愛の印として受けられたのではないか。私にはそう思えるのです。

 主イエスが選ばれた十二弟子の一人のユダが裏切ったというのは、まことに驚くべきことです。しかしこれは、神様が、主イエスが、何にも先が見えない方だったということを示しているのではないのです。ユダが裏切って、主イエスの十字架の救いが貫徹されたのです。神様の救いの御業は、裏切りによって頓挫するのではなく、それによって貫徹されたのです。いつの時代でも、キリスト教会には裏切りと言えるようなことが起きるのです。しかし、それで教会が無くなってしまうということはなかったし、今もないのです。

 このユダの裏切りということから、私は日本の教会が出発した時の一つの事実を思い起こすのです。明治5年、9名の受洗者が与えられ、それ以前に洗礼を受けていた2名と計11名によって、日本最初のプロテスタント教会、日本基督公会(現在の日本基督教会横浜海岸教会)が設立されたのです。ところが、この11名の信徒の内2名は、確実に明治政府からのスパイだったのです。彼らが政府に出したその報告書が残っています。さらに、1名の本願寺から送られたスパイだったと言われている人もいます。驚くべきことでしょう。しかし、それで日本伝道は頓挫したでしょうか。しなかったのです。神様の救いの御業というものは、人間の裏切りなどいうものによって台無しになるなどいうことはないのです。

 さて、ユダが主イエスに接吻すると、人々は主イエスに「わーっ」と襲いかかり、主イエスを捕らえました。人々が恐れていたような、主イエスからの反撃はありませんでした。ただ、一人だけ、剣を抜いて大祭司の手下に切りつけて片耳を切り落とすということが起きました。ヨハネによる福音書は、それがペトロであったと記しています。そして、耳を切り落とされた人の名はマルコスであったと記しています。また、ルカによる福音書では、主イエスは「やめなさい。もうそれでよい」と言われ、耳をいやされたと記されています。この剣を抜いた人は、主イエスを守るためというよりも、大勢の人々に囲まれて恐ろしくなって、持っていた剣を振り回したということなのではないでしょうか。しかし、主イエスはそれをやめさせ、まことに静かに捕らえられたのです。

 そして言われました。48~49節「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいて教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。しかし、これは聖書の言葉が実現するためである。」これは大変な皮肉です。昼間、大勢の人のいる前では、神殿の中では、わたしを捕らえなかった。いつでもできたのに、そうしなかった。なぜだ。それは、あなたたちがやっていることは、昼間にはできない業、闇の業だからだろう。人前をはばかる業だからだろう。闇に乗じて行っていることが、それを示している。これについては14章2節に、「彼らは『民衆が騒ぎ出すといけないから、祭りの間はやめておこう。』と言っていた」と記されています。主イエスの話を喜んで聞いている群衆を前にして主を捕らえるのは、群衆を刺激し、騒乱が起きる。それを恐れていたわけです。彼らは、神様に従う業だと思っていたのでしょうけれど、本当のところ、人を恐れていたのです。主イエスは、この「人を恐れるあり方」が本当に神様に従う姿なのか、そう告げておられるのでしょう。

 主イエスは静かに捕らえられました。十字架に架けられることを分かった上でした。なぜなら、主イエスはそれが神様の御心であることを知っておられたからです。それは、49節の「しかし、これは聖書の言葉が実現するためである」に明確に示されています。この「聖書の言葉」とは、詩編22編やイザヤ書53章に示されているメシアの受難預言を指しています。主イエスは、これは聖書の言葉が実現するためだ、つまりこれが神様の御心なのだと告げられたのです。

 

 さて、50節にはとても印象深い言葉が記されています。「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」淡々と聖書は記しておりますけれど、この一節は、私たちの心にとても深く突き刺さる言葉です。数時間前に「決してわたしはつまずきません」と、主イエスの前に誓った弟子たちでした。ペトロだけではないのです。皆そう言ったのです。しかし、実際に主イエスが捕らえられる段になると、弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げてしまったのです。この記事を見て皆さんはどう思われるでしょうか。何とだらしのない弟子たちだと思うでしょうか。私も同じだと思うでしょうか。私ならどうするでしょうか。

 ここでマルコによる福音書は、51~52節に一つのエピソードを加えています。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。これはマルコによる福音書にしか記されておりません。この「一人の若者」は一体誰なのか。名前が記されていないので、本当のところは分かりません。しかし、教会の歴史の中で、この若者はこの福音書を記したマルコではないかと言われてきました。主イエスが捕らえられたこの時、マルコがそこに居合わせたのかどうか分かりません。しかし、これがマルコだと人々は読んできたのです。

 この福音書を書いたマルコという人は、使徒言行録によれば、初代教会の人々が集まって祈っていたエルサレムの家の息子です(使徒12:12)。母親がキリスト者で、彼は二代目でした。そして、バルナバとパウロと共に第一回伝道旅行に行った伝道者でした。しかし、マルコはその第一回伝道旅行の途中で帰ってきてしまったようなのです。パウロの第二回伝道旅行にマルコを連れて行くかどうかで、パウロとバルナバは意見が分かれてしまい、バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて、別々に第二回伝道旅行に行ったことが記されています(使徒言行録15章36~44節)。

 マルコは逃げたのです。パウロの伝道旅行は命の危険にさらされるものでした。その伝道旅行で、マルコは逃げたのです。その出来事をさかのぼるこのゲツセマネにおいて主イエスが捕らえられた時、その場に彼がいたのかどうか分かりません。しかし、そうでなかったとしても、福音書記者マルコはここで、パウロと伝道旅行に行った時に途中で逃げ帰ってしまった自分の姿を、この時主イエスを見捨てて逃げてしまった弟子たちの姿に重ね合わせて、ここに書き込んだのではないか。私にはそう思えてならないのです。マルコもまた、自分は主イエスを見捨ててしまった者だ、そのことを本当に知ったから、福音を告げる伝道者になれたし、その福音に基づいて福音書を記すことができたのだろうと思うのです。

 主イエスの十字架への歩みにおいて、弟子たちの弱さ、情けなさ、不信仰、裏切りが次々と記されています。それは、本当にそうであったということだけではなくて、それが福音の本質を明確に告げる出来事だからなのでありましょう。

 福音とは、どこまでもついて行きますと言っていたのに、いざという時に主イエスを見捨てて逃げてしまう、その弟子たちをなおも赦し、愛し、用い給う神の愛なのです。主イエスの十字架は、この自分を見捨てた者の罪を担い、その者に罪の赦しを与えるものなのです。主イエスを我が主、我が神と信じて受け入れて歩み始める。主イエスを愛し、従う。しかし、信じ切れない。愛し切れない。従い切れない。主を裏切るようなこともしてしまう。その通りです。そのような私が、なおも赦され、愛され、生かされているのです。それが福音です。ですから何度でも、主イエスに励まされて、御心によって生きる道へと新しく歩み出していくのです。福音は私たちを、あきらめない者へと導き続けるのです。主イエスが、神様が、私たちを捉えて離さないからです。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神さま、あなたの貴き御名を心から褒め称えます。今日も敬愛する兄弟姉妹と共に礼拝を捧げることができましたことを、感謝いたします。神さま、弟子のユダは愛のしるしである接吻をもって、主イエスを裏切りました。しかし主イエスは、他の裏切った弟子たちと同じように、ユダを愛し、彼が悔い改めて立ち帰ることを願っておられたのだと思います。神さま、あなたは主イエスにあって何度も何度も私たちの罪を赦し、御国に向かって立ち上がるよう励まし導いていてくださいます。そのことをいつも私たちに覚えさせてください。今日は礼拝の後に、南柏教会に長らく仕えて下さった戸村曻次さんの記念会を行います。その記念会の上にあなたの祝福を与えてください。信仰に生きた先輩の思い出を分かち合う豊かなひと時としてください。10月を迎えようとしていますが、まだ寒暖差のある日が続きます。どうか、教会につながる兄弟姉妹一人一人の心身の健康をお支えください。このひと言の切なるお祈りを、私たちの主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

心燃える祈りを

マルコによる福音書14章32節~42節  2025年9月21日(日)主日礼拝説教

                           牧師 藤田浩喜

 主イエスはひどく恐れていました。ゲツセマネでの主イエスの様子を聖書はこのように伝えています。「そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい』」(33~34節)。

 恐れている主イエスを想像すると、何かとても不思議な気がします。これまでの流れを考えるとなおさらです。主イエスはここに至るまでに、すでに少なくとも三回は御自分の受難を予告しておられるからです。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」(10:33~34)。これは三度目の予告です。エルサレムに入られる前から、そこで自分の身に何が起こるかをすでに知っておられたのです。知りながら、あえてエルサレムに向かわれたはずなのです。

 この直前の食事についても、これが弟子たちと共にする最後の食事であることを、主は知っておられたはずです。だからこそ、その食事の際に「これはわたしの体である」と言ってパンを与え、「これはわたしの血である」と言って杯を回されたのです。さらに言うならば、裏切ったユダが祈りの場所に人々を手引きして連れてくることさえも知っていたのです。その場所こそが、群衆に知られることなくイエスを捕らえるためには格好の場所だったからです。そのことを知っているのに、あえてゲツセマネに祈りに来られたのです。わざわざ捕らえられるために、来られたようなものです。

 ならば、そこで本来期待されるのは、泰然として捕らえに来る者たちを静かに待つキリストの姿でしょう。恐れることなく、うろたえることなく、ただその時を静かに待つキリストの姿。―しかし、そのような姿はここには見られません。キリストは恐れ、苦しみもだえて祈っておられるのです。ここに描かれているのは、実に期待はずれとも奇妙とも言える光景です。

 しかし、読者の期待を裏切るこの姿こそ、キリストの受けた苦しみが何であるのかを雄弁に物語っているとも言えるのです。

 主はこう祈っています。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」(36節)。取りのけてほしい「この杯」とは、いったい何なのでしょうか。十字架につけられて殺されること ―確かにそうです。しかし、それが意味するのは、ただ単に肉体的・精神的苦痛を伴う死ということではありません。確かに十字架刑は残酷な刑罰です。しかし、十字架刑によって殺されたのは、何もイエス・キリストだけではないのです。現に主イエスと共に二人の犯罪人が、十字架にかけられていたのです。そして、肉体的・精神的苦痛という意味だけならば、世の中にはもっと大きな苦しみを味わいながら死んでいった人はいくらでもいたはずです。主イエスが「この杯」と呼んでいるものが、そのようにすでに誰かが経験したことのある苦しみであろうはずがありません。

 では、主イエスに与えられた「この杯」とは何だったのでしょうか。それはただ苦しんで死んでいくということではなくて、《神に裁かれて死んでいく》ということだったのです。もちろん、キリストは自分自身の罪のゆえに神から裁かれる必要はありません。この御方には罪がありませんでした。この御方は父なる神を愛し、人を愛して生きられました。この御方は父なる神と一つでした。ですから、この御方が背負っていたのは自分の罪ではありません。そうではなく、私たちの罪です。それは私たちすべての人間の代わりに、神の裁きを受け、神に見捨てられることを意味したのです。それこそが、メシアの苦しみだったのです。

 実際、この箇所を読む度に思います。私たちは神の裁きが何であるかについて、恐らく何も知らないのだ、と。辛いことが続いて、「神から見捨てられた」と感じることはあるかも知れません。しかし、私たちは神から見捨てられるということがどういうことか、恐らく何も知らないのです。だから、すべてを知っておられる神の御前において、罪を犯してきたこと、罪人であるという事実に恐れおののくこともないのでしょう。罪の赦しを受けることなく死ぬことを、本当の意味で恐れることもないのでしょう。

 しかし、主イエスは違います。罪人として、罪を背負ったまま死ぬことがどれほど恐ろしいことであるか、罪ある者として神に裁かれることがどれほど恐ろしく、悲しく、苦しいことであるかを御存じだったのです。この世界の罪、私たち人間の罪を背負うということが、いかなる苦しみであるかを知っておられたのです。それが、今日の聖書箇所におけるキリストの恐れと苦しみの姿の中に、語られていることなのです。

 それゆえに主は、ひれ伏して父なる神に願い求めたのです。「この杯をわたしから取りのけてください」と。しかし、父に向き続け、苦しみもだえながら祈られる主イエスに、御父は何も語られませんでした。そう、ひと言も。しかし沈黙はしばしば言葉以上に、雄弁に語ります。沈黙こそが主イエスに与えられた答えでした。―わかりました。あなたの御心なのですね。主は父に語りかけます。「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(36節)。

 そのように神が沈黙される時に、それでもなお「アッバ、父よ」と呼びかけ、父への信頼をもって御心に従おうとしている御姿を、私たちはここに見るのです。

 しかし、この箇所を読みます時に、父の御心に信頼をもって従うことは、主イエスにとってさえ、決して容易なことではなかったことを知るのです。先に見たとおり、主イエスは「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と口にするのです。ならば、本来ならそこで祈りは完結しているのではないでしょうか。ところが、39節にはこう書かれているのです。「更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた」。

 「同じ言葉で祈られた」ということは、もう一度「この杯をわたしから取りのけてください」と願ったということです。そして、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」に、再び行き着いたということです。

 これを主イエスは、何回繰り返したのでしょうか。ここには主が三回ペトロたちのところに戻って来られたことが書かれています。しかし、主がただ三回だけ「同じ言葉で祈られた」とは思いません。もしそうならば、弟子たちは眠っていて聞き逃しているはずですから、二回目が同じ言葉であることは分かりません。さらに言えば、二回目の時も眠っていたのですから、同じ言葉で祈っていたのをいったい誰が聞いていたのでしょう。

 要するに考えられることは、弟子たちが眠りこける前から、主イエスは同じ言葉で繰り返し祈り続けていたということです。あるいは、ルカによる福音書では「いつものようにオリーブ山に行かれると」(ルカ22:39)と書かれていますから、主イエスはエルサレムに来られてから毎日のように、そのように祈っていたのかもしれません。

 主イエスであっても、祈りなくしては従い得なかったのです。繰り返し父の名を呼ぶことなくして、父への信頼をもって立ち上がることはできなかったのです。前に進むことはできなかったのです。そのように天の父にすがりつくようにして繰り返し祈っておられた主イエスだからこそ、眠っていた弟子たちにこう言われたのです。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(38節)。

 「誘惑に陥らぬように」―彼らにとっての「誘惑」とは何でしょう。眠りへと誘う誘惑でしょうか。いいえ、もっと大きな誘惑が待っていることを、主イエスはご存知でした。

 こんなことがありました。ゲツセマネに到着する前のことです。主イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたは皆わたしにつまずく」(27節)。つまり、主イエスを見捨てて弟子たちが散ってしまうことを、主は予告したのです。その時、ペトロは言い返しました。「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」。しかし、主イエスはそのペトロにこう言われました。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」。ペトロはさらに言い返しました。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」。そして、「皆の者も同じように言った」(31節)と書かれています。今日の箇所の直前に書かれていることです。

 確かに、主イエスが彼らの目の前で捕らえられることは、彼らにとって試練です。そして、そこには誘惑もあります。「あなたがたは皆わたしにつまずく」。その誘惑があります。彼らは「つまずきません」と言いました。実際はどうだったでしょう。シモン・ペトロは三度、主イエスを知らないと言いました。他の弟子たちも、主イエスを見捨てて逃げ出しました。ある意味で彼らは、誘惑に負けたことになります。

 しかし本当の誘惑は、その後に来るのです。彼らは深い悲しみ知ることになります。彼らは自分自身に対し、深い絶望を味わうことになります。主イエスはそうなることが分かっているのです。だから、ルカによる福音書では、主イエスがペトロにこう言ったと記されています。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:23)。

 悲しみの中に、特に自らの弱さ、自らの罪のゆえの悲しみの中に誘惑があります。自分に対する絶望の中に誘惑があります。悪魔はそこで、人を神から引き離しにかかってくるのです。信じることをやめさせようとする。従うことをやめさせようとするのです。それゆえに主は言われるのです。「誘惑に陥らないように祈りなさい」と。

 実は、主イエスがペトロたちの離反を予告した時、一言こう付け加えていました。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」(28節)と。弟子たちは確かに主を見捨てて逃げていく。しかし、主イエスはその先を見つめておられたのです。彼らは、それで終わりになってはならない。自分に絶望して終わってはならないのです。悪魔によって引き離されてはならないのです。信じることをやめてはならないのです。自分がどのような惨めなありさまであろうが、信じることをやめてはならないのです。主が先にガリラヤに行って待っていてくださるからです。

 あの時、主イエスが言ってくださった、「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」という言葉は、深く彼らの心の内に留まったことでしょう。そして、弟子たちの心に留まったその御言葉が伝えられ、今日、私たちにも同じ御言葉が与えられているのです。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい」。祈っていなさい ―そう、あの時、父にすがりつくように繰り返し祈り続けた主イエスのように」。聖書はそのように、私たちに呼びかけているのです。お祈りをいたしましょう。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神さま、あなたの貴き御名を心から讃美いたします。今日も敬愛する兄弟姉妹と共に礼拝を守ることができましたことを、感謝いたします。主イエスはゲツセマネの園で、「アッバ、父よ…この杯をわたしから取りのけてください」と祈られました。しかしその祈りは、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」へと至りました。主イエスがその祈りを、何度も繰り返し、祈り続けられたことを聖書は語ります。

神さまにこの祈りを祈り続けることなくして、私たちは人生の最大の誘惑を退けることはできません。どうか、人生の大きな困難に陥っている時にこそ、主イエスのゲツセマネの祈りを思い起こさせてください。今日は礼拝の後に、信仰の先輩たちを囲んでお祝いの愛餐会を行います。長い人生を歩んでこられた信仰の先輩たちを支えてくださった神様に心から感謝しつつ、交わりのよき時を持たせてください。季節はやっと秋へと向かっているように感じます。しかしまだ寒暖の差が激しく体調の整えにくい日々です。どうぞ、兄弟姉妹一人一人の心身の健康をお守りください。このひと言の切なるお祈りを、主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

逃れる道を備えられている

創世記16章7~16節 2025年9月14日(日)主日礼拝説教

                           牧師 藤田浩喜

 子どもが与えられないサライに代わって、女奴隷ハガルがアブラムの子どもを身ごもると、三人の関係は微妙に変わってきました。ハガルが女主人であるサライを軽んじ始めたというのですが、サライのひがみ、被害妄想であったかもしれません。いずれにしろ、サライのハガルいじめが始まりました。精神的虐待だけではなく、肉体的虐待もあったかもしれません。とうとうハガルはそれに耐え切れなくなって、サライのもとから逃げるのです。

 「サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた」(16:6)。しかしそうして逃げたハガルを、神様は放っておかれることはなさいませんでした。彼女のもとに御使いを送ります。「主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。『サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか』」(16:7~8)。 「『女主人サライのもとから逃げているところです』」と答えると、主の御使いはこう答えました。『女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい』」(16:9)。

 この言葉を、私たちはどういうふうに聞くべきでしょうか。注意して聞かなければなりません。聞きようによっては、「奴隷は主人のもとから逃げるべきではない。奴隷は主人のものだ」ということを正当化する言葉として用いられるかもしれません。

 聖書という書物は、幅の広い書物です。色々な文脈で、色々なことを語っていますから、自分の立場に都合のいい言葉を拾い出して、それをつないでいきますと、どんな思想でも聖書の言葉によって正当化できてしまうような面があります。

 言葉というのは両刃の剣です。誰が、どういう文脈で、どういう目的でその言葉を語っているかによって、意味が全く違ってくることがあります。ここでの「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい」という言葉も、奴隷制を正当化する言葉になりかねません。このテキストは、かつて南北アメリカ大陸で、アフリカから連れて来られた黒人たちを奴隷として所有していた人にとっては、そしてそれを肯定していた教会にとっては、都合のいいテキストではなかったかと思います。彼らはこの箇所を根拠に、「奴隷は主人のもとから逃げてはならない」ということを安易に主張したのではないでしょうか。

 しかし神の使いがこの言葉を発したのは、もっと違った意味であったと思います。それは、その後の問答によく表れています。御使いは、こういうふうに続けました。「『わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす』」(16:10)。

「『今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから。彼は野生のろばのような人になる』」(16:11~12)。

 「あなたは捨てられてはいない。神様はあなたと共にいる。あなたも祝福を受ける」と告げたのです。

 ちなみにイスラームの伝統でも、アブラハムはイブラヒームと呼ばれ、敬われます。イシュマエル(イスマイール)も特別な存在です。ハガルはクルアーン(コーラン)には出てこないのですが、やはりイスラームの人々の信仰の母のように慕われているそうです。私は、そういうふうな形で、このときの神様の約束が実現していったのではないかと思うのです。

 ハガルは御使いの言葉を聞き、「主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です』」と、信仰の告白をし、「『神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか』」(16:13)と語りました。「神様を見た者は死ぬ」と考えられていましたので、「その後も死ななかった」ということでしょう。

 ハガルは、御使いの言葉通りに女主人のもとに帰ってアブラムの子どもを産み、イシュマエルと名付けました。ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であったということです。

 この物語は、聖書の神がアブラハムとサラ(サライ)の神であるだけではなくて、ハガルの神でもあるということを示しています。ハガルの神ということは、苦しめられ、迫害を受け、いわば祝福の外に置かれているように見える者の神ということです。

 神様の約束は、アブラハム、イサク、ヤコブヘと受け継がれていきます。それが主流です。しかし神様はそこで、アブラハム、サラ、イサクに、排他的に関わっておられるのではありません。特に私たちクリスチャン(そしてユダヤ教の人々)は注意して聞かなければならないでしょう。私たちは、神様が教会を建て、それを通して神様の働きが進んでいくと信じています。確かに聖書はそう語ります。しかし、私たちがそれを自分の占有物のようにすることはできません。神様の働きは、私たちの思いを超えて、自由に働くのです。今日のハガルの物語は、そのことを私たちに告げているのではないでしょうか。イエス・キリストの恵みを受けている私たちは、そのことも聞かなければならないと思います。

 今日の御言葉は、本来的には、「今置かれている自分の現実から逃げるな」ということを私たちに告げていると思います。

 40年近く前ですが、東京神学大学に船水衛司という旧約聖書神学の先生がおられました。この方は、学者というよりは、教育者として、あるいは神学生に対する牧会者(牧師)として、優れた人であったようです。学生たちの父親のような存在であり、成績がいくら悪くても絶対に落とさないことで有名だったそうです。「どうせ牧師になれば苦労するのだから、早く卒業してそれから苦労すればいい」という持論をもっておられました。そういう先生でしたから、神学校の中にありながら、学生たちは冗談のようにして「仏の船水」(?)と呼んでいとのことです。

 1986年の卒業式の日のことです。船水先生は、その一年前にすでに退職なさっていましたが、特別にスピーチをしてくださったそうです。いつもゆっくりと、ゆったりと噛んで含むような話し方をされるのですが、その日もそうであったといいます。次のようなスピーチでした。

「1986年 卒業生を送ることば  船水衛司

 わたしの今の心境は、娘を嫁にやる父親のそれです。よろこびと、不安と、切なさとを綯(な)い交ぜになった気持ちです。

 一つだけ、はなむけのことばを申しますと、「逃げるな」、ということです。牧会上、生活上、また自分自身の信仰の上で、行き詰ったと思う時、祈りのうちに、一歩前進することです。必ず、狭いけれども、いのちに至る道が拓かれています。

 これは、足掛け70年のわたしの生涯における、実感です。なお、この点については創世記第16章における「ハガルの場合」について学習して下さい。

 死ぬまで、わたしも皆さんのために祈っています。

                      2月26日 送別会にて」

 この原稿(コピー)は大串眞という牧師が、記念に船水先生からいただいて持っていたのでした。大串牧師は高校を卒業して、すぐに東京神学大学に入学し、卒業クラスで一番若かった人でした。東京を離れたことがなかったのが、いきなり独身で四国の土佐、しかも高知市からも遠く離れた宿毛(すくも)伝道所に赴任いたしました。小さな伝道所の主任として孤独であったようです。随分とつらい経験もしたようです。逃げ出したくなることも何度かあったようです。その大串牧師は、「牧師をしていて、つらいことがある度に、この船水先生の言葉を読み返してがんばってきた」と記しています。大串牧師はこの地で約20年牧師を務めた後、現在は千葉県佐倉市のユーカリが丘教会で伝道牧会をされています。

 この船水先生の「逃げるな」という言葉のニュアンスと、神が御使いを通してハガルに言われた「逃げるな」というニュアンスには、同じ響きがあります。それは、奴隷主が「奴隷は逃げてはいけない」というのとは全く違った響きです。

 このとき、神様(天使)はハガルに向かって、「逃げるな。家に帰れ」と言って、突き放したわけではありません。ハガルと共に、ハガルの現実の中へと帰って行かれるのです。ハガルは現実の中で絶望し、現実からさまよい出て、荒れ野で神様と出会って、神様と共に自分の持ち場へと帰って行ったのです。

 「逃げるな」と言われた神様は、逆説的にハガルにちゃんと逃げ道を用意していてくださった、と言えるのではないでしょうか。パウロはこう言いました。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント10:13)。

 厳しい現実の中で、もう八方ふさがりで早くこの現実から逃げ出したいと私たちが思うときにも、神様はひとつの道を指し示してくださるのだと思います。それがどういう道であるか、一概には言えません。もしかすると、形の上では、そこから逃げる道であるかもしれません。

 ブラジルでは16~19世紀に、逃亡した奴隷たちが、森の奥地でキロンボと呼ばれる共同体を形成し、自給自足の生活を送りました(今も多数残っています)。そういう形もあり得ると思います。自分の現実をしっかりと見据え、神様が共に歩んでくださるということを信じて歩め、と励まされているのです。

 アブラハム物語は、これまで典型的な父権制の物語として読まれてきましたが、今、これをそうしたしがらみから解き放ち、女性のサラの視点、さらに女奴隷であったハガルの視点で読み直そうという試みが活発になってきています。

 歴史の陰の部分に置かれてきたハガルが前面に出されることによって、「神はそのように苦しみを受け、迫害を受けてきた人々と共におられる」という福音が、よりはっきりと伝わるようになってきているのではないでしょうか。聖書を私たちの現実に合わせて読むのではありません。私たちの現実こそが、聖書の御言葉によって深く鋭く問われていくのです。お祈りをいたします。

【祈り】主イエス・キリストの父なる神さま、あなたの貴き御名を讃美いたします。今日も敬愛する兄弟姉妹と共にあなたを礼拝することができましたことを、心から感謝いたします。今日も創世記の御言葉を通して、「逃げるな、わたしがあなたがたと共にいる」という力強い御言葉を聞くことができました。聖書を私たちは自分の都合のよいように安易に聞いてしまいますが、聖書の御言葉はそのような私たちを貫き砕くことによって、なくてはならない福音の言葉を響かせてくださいます。どうか、謙遜に一途に御言葉から聞く者とならせてください。この一週間もあなたに支えられ導かれて歩むことができますように。この拙き切なるお祈りを主イエス・キリストの御名を通してお捧げいたします。アーメン。