マタイによる福音書8章23~27節 2025年11月16日(日)主日礼拝説教
牧師 藤田浩喜
今朝読んでいただいた御言葉は、こう始まっています。23節です。「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。」何気ない言葉ですが、丁寧に読んでみますと、改めて気づかされることがあります。それは、イエス様と弟子たちは舟に乗ってガリラヤ湖の向こう岸に行こうとしていたわけですが、その舟にまず乗られたのはイエス様であって、そこに弟子たちも従って乗り込んだということです。弟子たちが乗った舟に、イエス様が乗り込んだというのではないのです。どっちでも同じではないかと思われるかもしれません。しかし、このことはとても重要なことです。
前の段落の18節を見ますと、「弟子たちに向こう岸に行くように命じられた」とあります。つまり、弟子たちは、自分たちで向こう岸に行こうと言い出したのではありません。自分たちが乗った舟にイエス様が乗ってこられたのでもありません。弟子たちはイエス様に命じられたのです。さらに22節を見ますと「わたしに従いなさい」とあります。弟子たちはイエス様に従っただけです。変な言い方かもしれませんが、この時弟子たちに落ち度はなかった。夜のガリラヤ湖に舟を出して向こう岸に渡ろうとしたのは、100%イエス様の責任、イエス様のご命令で行われたことだったのです。
ところが、24節前半「そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった」とあります。湖に舟を出すと、激しい嵐が起きたのです。舟は波に飲み込まれそうになったのです。
ガリラヤ湖というのは、海抜約-200mほどの所にある湖です。海抜-200mのガリラヤ湖は、世界で2番目に低い所にある湖です。この低い所にある湖という地形のために、周りの山々から突風が吹いてくるということが起きます。現在でも起きています。この時も、そのような突然の嵐が、イエス様一行が舟を出したその夜に起きたのです。イエス様一行が乗っていた舟は多分、漁師たちが漁で使っている舟だったと思われます。それはとても小さな小舟です。湖が荒れれば、まさに木の葉のように揺られ、水も入ってくる。シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネは元漁師でしたが、このような状況になれば、どうしようもありませんでした。彼らは、このような突然の嵐の怖さをよく知っていました。恐らく漁師仲間の何人かは、このような嵐に巻き込まれて命を落とすということもあったのでしょう。彼らは必死でした。必死に舟を操り、入ってくる水をかき出していたことでしょう。彼らは命の危機を感じていました。「このまま嵐が静まらなければ、自分たちはもうお終いだ!」。そう思ったことでしょう。
ところが、その時イエス様はどうしておられたでしょうか。聖書は、「イエスは眠っておられた」と記します。舟は波に揉まれて、めちゃくちゃに揺れています。波をかぶって、水も入ってくる。よくまあ、そんな状況の中で眠っていられるものだと思います。でもこの時イエス様は眠っておられたのです。
この眠っておられるイエス様を見て、弟子たちはどう思ったでしょう。皆さんならどうですか? 一つは、イエス様への不満、怒りのような気持だったと思います。「こんな時によく眠っていられるものだ。」「あなたが舟を出せと言ったからついてきた。どうしてくれる。」そんな思いを持ったのではないでしょうか。そして、もう一つ。「主よ、助けてください」という叫びのような願いです。
私たちは、ここではっきり知らなければなりません。イエス様に従っても、いやイエス様に従うがゆえに、嵐に遭う、絶体絶命の危機に陥ることがあります。イエス様に従っていくならば、必ず平穏無事な幸せな日々を過ごすことができるということではないのです。クリスチャンになれば、事故にも遭わず、病気にもならない、人間関係のトラブルにも巻き込まれない。そんな保証などないのです。
けれども、イエス様はどうして、嵐に遭うような夜に舟を出させたのでしょうか。イエス様も弟子たちと同じように、嵐が来るとは思わなかったということなのでしょうか。そうではないと思います。イエス様はすべてを知っておられたと思います。しかし、あえて舟を出したということなのだと思います。なぜか。それは、弟子に対する一つの訓練だったのではないでしょうか。
弟子たちはこの時、自分の経験、自分の能力、自分の力ではどうにもならない、自分では自分を救えない、そういう状況に追い込まれました。そこで彼らは、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めました。これは弟子たちの叫び、弟子たちの祈りでした。そして、イエス様はこれに応えて、嵐を静められました。どんな危機的状況であっても、イエス様に助けを求めるならば大丈夫。弟子たちはそのことを、強烈に思い知ったのではないでしょうか。その経験をイエス様は、弟子たちにさせたということなのではないかと思うのです。
舟が転覆しそうになった時、弟子たちに起こされたイエス様は、こう言われました。26節「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」しかし、この状況の中では怖がるのは当たり前です。こんな時に眠っておられるイエス様の方が変なのです。そう、イエス様が変なのです。どうして変なのか。それはイエス様がただの人間ではないからです。神の独り子、まことの神であられるからです。イエス様は風と湖とをお叱りになった。すると、すっかり嵐は静まり、凪になった。こんなことがおできになるお方だから、イエス様はこの天と地を造られた神様の独り子であられるから、この状況の中でも怖がることはなかったのです。でも、弟子たちは怖がった。ただの人間だからです。当たり前のことなのです。
ここでイエス様は、弟子たちに「信仰の薄い者たちよ」と言われました。これは直訳すれば、「小さな信仰」です。信仰が無いのではありません。小さいのです。ここでイエス様は、小さな信仰しか持っていない弟子たちを叱ったのでしょうか。そうではないと思います。ただ事実を告げられただけなのです。
弟子たちの信仰は小さい。それは事実です。私たちの信仰も小さいのです。イエス様のように神様と一つとなって、神様に対しての絶対的な信仰の中で生きている者などどこにもいません。だから、弟子たちと同じように「主よ、助けてください」と叫ぶようにして、イエス様に祈るしかないのです。そして、イエス様はその叫びに応えて、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と言いながら嵐を静めてくださるのです。私たちにできることは、何とかこの嵐の中でも舟が沈まないように、一生懸命舟を操り、水をかき出すことです。そしてどうにもならないなら、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めて叫ぶことなのです。イエス様は必ずその叫びに応えてくださるのです。
私はこう思っています。自分としては精一杯やっているのだけれど、どうにもならないことはよくあります。そして、こうなったらどうしよう、こんなふうになったら困るな、そんな不安や怖れにとらわれてしまいます。その時どうするのか。この時の弟子たちと同じように、「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めたらよいのです。イエス様は必ずその叫びに応えてくださいます。
皆さんは、自分の信仰が弱いと思うこと、イエス様に「不信仰な者よ」と言われていると思うことはありませんか。もし、そのようにイエス様が言われていると思ったなら、大いに安心したらよいのです。イエス様は、私たちに「信仰の薄い者よ」と言って、お終いという方ではないからです。イエス様がそのように言われたなら、必ず、私が怖れている嵐を静めてくださいます。そのことを信じてよいのです。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者よ」と言われたなら、心から喜んだらよいのです。このイエス様の言葉を聞く人は、すでにイエス様の守りの中に生かされています。イエス様が同じ舟に乗っていてくださっているからです。
さて、教会の歴史において、イエス様が乗ってくださっているこの舟は、キリスト教会のシンボル=象徴と考えられてきました。キリスト教会は時代の荒波の中、何度も沈みかけたことがありました。しかし、そうはなりませんでした。教会が知恵を持ち、力を持っていたからではありません。イエス様が共にいてくださり、嵐を静めてくださったからです。
この舟はどこへ向かっていたでしょうか。聖書は「向こう岸へ向かって」いたとしか記していません。しかし次の28節を見ますと、この舟が向かっていたのは「ガダラ人の地方」であった。イエス様はこの地の墓場に住む、悪霊に取りつかれた二人の人から悪霊を追い出されたことが記されています。つまり、イエス様一行が向かった先は、ガダラ人という異邦人の地であり、そこに住む悪霊に取りつかれた人を救うためであったということなのです。
このことを教会に当てはめるならば、異邦人伝道へと向かう中で嵐に遭う、伝道の困難さを示しているとも言えるでしょう。伝道というのは、キリスト教会が復活のイエス様に命じられて、二千年の間、すべてのキリスト教会が行ってきたことです。この伝道という業は、すんなり楽々となされたことはありません。よく、現代の日本は伝道が困難だと言われます。しかし、何時の時代の、どこの国の伝道が困難ではなかったというのでしょうか。いつでも、どこでも、伝道は困難でした。その困難のただ中で、教会は、伝道者は、何度も「主よ、助けてください」と叫んだ、祈った。そして、その祈りは聞かれ、今の教会があるのです。困難はあります。自分の力ではどうにもならないような危機にも見舞われます。しかし、それでも大丈夫なのです。私たちがイエス様と同じ舟に乗ったからです。イエス様に従って、イエス様が乗っている舟に乗り込んだのなら、イエス様が必ず何とかしてくださるのです。
もし今、本当に辛い、大変な状況の中にある人がおられるなら、「主よ、助けてください」と祈りましょう。本当に困った時、「助けてください」と叫ぶことは大切です。人間同士でも大切ですが、神様に「助けてください」と祈ることはもっと大切です。神様は必ず働いてくださって、私たちの思ってもいない道を開いてくださいます。だから安心して、人生という航海へと乗り出していきましょう。主はいつもあなたと共におられます。お祈りをいたしましょう。
【祈り】主イエス・キリストの父なる神様、あなたの貴い御名を褒め称えます。
今日は南柏教会に集う子どもと大人が一緒に礼拝を守ることができました。そのことを心から感謝いたします。教会はイエス様が乗っておられる舟で。そこには子どもも大人も乗っています。教会という舟は小さい舟で、嵐に見舞われ、ひどく揺さぶられることもあります。転覆するのではないかと怖くなることもあるかもしれません。しかし、舟のあるじであるイエス様は風と湖を𠮟りつけ、嵐を静めてくださいます。イエス様がおられる舟に乗っている限り、私たちは守られ、無事に目的地に到着することができます。どうかイエス様が共におられることを信じて、人生という航海を続けさせてください。今週から寒さが強まりそうです。
どうか、教会につながる兄弟姉妹一人一人をお支えください。このひと言の切なるお祈りを、イエス様の御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。