ヨナ書4章1~4節 2024年8月18日(日)主日礼拝説教
牧師 藤田浩喜
私たちの国は8月15日(木)今年の敗戦記念日を迎えました。この時期は平和について思いめぐらすことの多い時ですが、世界情勢を見ると私たちの中にも戦争に対する不安がじわじわと高まっています。ロシアによるウクライナ侵略、パレスチナのガザに対するイスラエルの攻撃、ミャンマーやシリヤでの内戦状態など、世界の各地で戦争状態が続いています。日本においても、中国や北朝鮮に対する危機が煽られる中で、防衛予算が大幅に増額され、台湾有事に備えて沖縄周辺の島々に兵器が配備されています。「戦争へと突入していった時代と状況が似てきた」と心配する人たちもいます。
こうした状況の中で、私たちは私たちの国が戦争へと至らないために何をすればよいのでしょうか。小さな力しか持たない私たちがどうしたら平和を創り出していくことができるのでしょうか。そうした焦りにも似た思いを持っておられる方は、皆さんの中にも多いのではないかと思います。
東京新聞の8月14日(水)朝刊に『考える広場』というページがあり、今回のテーマは「我々は戦争に無力なのか」というものでした。まさに私たちが切実に思っていることですが、そこには3人の方のインタビューが掲載されていました。一人目は歴史学者の藤原辰史さんで、この方は戦争と食物の関係を研究されています。「ナチスの暴力といえば600万人が犠牲になったホロコーストを想起するが、ナチスの食糧戦略で東欧では400万~700万人が餓死したと言われています。…またイスラエルは2007年からガザを完全封鎖し、今回の侵略では100万人以上が飢餓の危機にあると言われています。」イスラエルの攻撃によって4万人以上が亡くなったと報道されていますが、それとは別に食料を入れない戦略によって、比較にならない多くのガザの人々を死へと追いやろうとしているのです。そして、藤原さんは最後に私たち日本人への問題提起も忘れてはいません。かつてのナチスも現在のイスラエルも、「飢えてもいい人」がいると考えているのではないか。しかし日本人はどうであろう。「11人に一人が飢餓に直面する世界に暮らしながら、大量に食品を廃棄する消費生活を平気で続ける私たちの中にも、そうした考え方が根付いているのではないか。人を人として見ているのか。」そのように問うておられるのです。
時間の関係で3人のうちもう一人だけ紹介しましょう。この方は自分の居場所からイスラエルのパレスチナ侵略に抗議している東大農学部3年生の八十島士希(やそじましき)さんです。八十島さんはイスラエル大使館への抗議デモなどに参加しましたが、持続的で地に足がついた運動が必要だと感じるようになりました。そんな時、アメリカの大学で大規模な連帯キャンプが行われていることを知りました。学生たちが大学内にテントを張って、イスラエルを投資先とする資金運用の中止などを大学に要求して抗議し、多くの学生が警察に拘束されていたのです。それを知って八十島さんは、いても立ってもいられなくなりました。東大の芝生広場にテントを張り、パレスチナの旗を掲げて寝泊まりするようになったのです。東大には、侵略で居場所を失った現地の研究者や学生の受け入れ、イスラエル企業と協力する日本企業との契約中止を求めていますが、聞き入れられてはいません。しかし、東大内外からキャンプに加わる学生たちが起こされ、テントには24時間誰かがいる体制を維持しています。教員の中にも差し入れをしてくれる人がいるそうです。自分の居場所での小さな運動ですが、東大のキャンパスを訪れた在日パレスチナ人からは、「元気づけられます。ありがとう」との言葉をもらい、活動の意義を実感したそうです。そして八十島さんも、私たち日本人がガザへの侵略に対して無力ではないことを、次のように述べているのです。「日本から縁遠いと感じる中東ですが、侵略国家と僕たち日本の市民は、企業や大学などを通じてつながっている。虐殺への加担をやめるよう、多くの人々が自分の居場所から訴えれば、平和への大きな力になると信じています。」平和への取り組みは、私たちと現代の戦争とのつながりを意識することから始まるということなのでしょう。
さて、今日読んでいただいた個所は、ヨナ書4章1~4節です。4章1節に「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った」と書いてあります。ヨナの怒りの理由はどこにあるのでしょうか? それは神さまがニネベの町を滅ぼさなかったからだと書いてあります。ヨナは「あと40日したらニネベの町は滅びる。あと39日したら、あと38日したら」と、毎日毎日40日間言い続けてきました。それなのに神さまは、最後のところで「滅ぼさない」と言われたのです。ですからヨナは怒りました。ヨナは、これは不公平だと思ったに違いありません。「あの人たちは悪い人間だ。罪を犯し、神に逆らっている人たちではないか。自分たちイスラエルの民を圧迫し、支配してきたではないか」と怒るのです。
しかし他方でヨナは、主なる神さまがこうなさるのではないかと、予想していました。今日の4章2節後半以下で、彼はこう告白してもいるのです。「わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐みの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」このヨナの告白は、旧約聖書の中で最も偉大な言葉の一つであると言われています。預言者ヨナは自分が信じている神様が、恵みと憐みの神であることを知っていました。たとえ神さまに背き、神さまの前に大きな罪を犯しても、自分の罪を認め、心から悔い改めるならば、それを赦される御方であることを知っていました。神さまは罰を下して滅ぼすことを願うのではありません。罪を認め悔い改め、自分に立ち返ることを何よりも願っておられます。ヨナはアッシリアのニネベに行くように命じられた時から、このことがうすうす分かっていました。自分の信じる神さまが「災いをくだそうとしても思い直される方である」と知っていました。それだからこそ、ヨナはニネベとは正反対のタルシュシュに行き、神さまの使命から逃れようとしたのです。
しかし、神さまは海に投げ込まれたヨナを大魚に吞み込ませ、ニネベまで運ばれました。そして神さまが命じられたように、「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」と叫んで呼ばわると、ニネベの王を初めとして、ニネベ中の人たちが
悔い改めました。すると、ヨナが恐れていたように恵みと憐みの神さまは、宣告していた災いを下すことを止められたのです。
ヨナは大きなジレンマの中に立たされていました。人間的に考えればアッシリアは神の民を武力によって蹂躙し、神の民に苦しみを与えた張本人です。憎んでも憎み足りない敵です。しかし、自分たちの信じる神さまは愛と憐みの神さまであり、「災いをくだそうとしても思い直される方である」と知っている。そのようなどうしようもないジレンマの中で、ヨナは苦しみのあまり死を願うのです。「主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです」(4:3)。しかし神さまはヨナに問われます。「お前は怒るが、それは正しいことか。」神さまは、人間が悲しみや憎しみをどうしても抱いてしまうことをご存じです。痛みや苦しみを与えた相手に、復讐せずにはおれない人間の心を知らない御方ではありません。しかし、それでもなお、自分の人間的な思いに縛られるのではなく、神さまの御業に目を注ぐように促されるのです。
詩編18編31~35節に、このように言われています。「神の道は完全。主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に、主は盾となってくださる。主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を完全にし、わたしの足を鹿のように速くし、高い所に立たせ、手に戦いの技を教え、腕に青銅の弓を弾く力を帯びさせてくださる。」私たちの信じる神さまは、神の道を歩んでいく者を思いも寄らない仕方で導き、私たちの道を完全にしてくださるというのです。
この夏、城内康伸(しろうちやすのぶ)という人の書いた『奪還―日本人難民6万人を救った男』(新潮社)という本を読みました。私は不勉強にして知らなかったのですが、日本が太平洋戦争で敗北した時、朝鮮半島にはたくさんの日本人が残されていました。日本は朝鮮を植民地支配していたので、たくさんの日本人が生活していたのです。しかし敗戦と同時に、朝鮮半島の北側はソビエト連邦の支配下に、南側はアメリカ合衆国の支配下に置かれました。アメリカは南部にいた日本人を早急に日本に帰還させる政策を取りましたが、ソビエト連邦が支配する北部はそうではありませんでした。北部の指定した場所に集団で移住させ、ソ連兵や朝鮮当局の管理下に置きました。シベリアに抑留される人もいました。食べる物も満足になく、伝染病に見舞われる中で、多くの日本人が生存の危機に立たされていました。しかしそうした中、松村義士男(まつむらぎしお)という人が時間も資金もない中で、同志の人たちと力を合わせ知恵を尽くして、6万人もの日本人を日本に帰還させることに成功したのです。
この松村義士男さんは、戦争前は共産主義者として活動した人でした。危険人物として投獄されたこともありました。しかし、敗戦時に朝鮮半島にいた松村義士男さんは、ロシア語や朝鮮語を流暢に話すことができました。また、共産主義者であったことが、ソビエト連邦や朝鮮の要人たちと交渉をする際に、大いに役立つことになりました。たいへん肝の据わった人物でもあったようです。かつて共産主義者として迫害されたことを根に持つこともなく、同胞日本人を救わんとする人間愛のゆえに、この奪還事業を最後までやり遂げました。かつてマイナスであった共産主義者としての身分が、思いがけないプラスとして大きく用いられました。普遍的な人間愛が思いもよらない奇跡のような出来事を引き起こしたのではないかと、わたしには思われたのです。
もう一つ先々週の8日(木)~9日(金)休暇の最中でしたが、東京中会ヤスクニ・社会問題委員会が主催する「福島フィールドワーク」に百合子と一緒に参加しました。この企画は2011年に起こった東日本大震災による福島第一原発の事故によって多大な被害を被った、福島県の浪江町の今の状況について学び、実際に出かけてフィールドワークをしようというものでした。8日(木)にはこの課題に長年取り組んでおられる日本バプテスト連盟 福島主のあしあとキリスト教会牧師 大島博幸先生から講演を聞き、翌日9日(金)は大島先生のご案内で主に浪江町の震災遺構や最近できた東日本大震災・原子力災害伝承館を見学することができました。また機会があれば皆さんにも報告したいと思います。
ところで、8日(木)の大島博幸先生の講演で、先生はルカによる福音書10章25~37節の「善いサマリア人」のたとえを引いて、自分がなぜ13年も経過した今日、原発被災地の人々に関わっているのかを話されました。復興、復興の掛け声の中で、大部分の人は原発事故を過ぎ去った出来事のように生活している。それも止むを得ない面がある。しかし、自分は傷つき倒れた人を中心にして隣人をというものを考えたいと思う。今だ原発事故のために不自由な生活をしている人たちがいる。放射線の被害に不安をぬぐえないお母さんたちがいる。それは「小さな声」かもしれない。けれどもそのような「小さな声」に寄り添い、その人たちと共に歩んでいくことが、主イエスの問いに答えることではないか。「だれがその人の隣人になったか」という問いに答えることなのではないか。私は大島先生のお話を聞きながら、本当にそうだと思わされました。そして「小さな声」に寄り添うことを、キリスト教会は、そして私たちは忘れてはならないと強く思わされたのです。
よく言われることですが、平和というのは「単に戦争状態のない状態」を指すのではありません。私たちの生きている社会において、人権が尊重され、言論の自由を初めとする様々な自由が保障されている状態を言います。人が人として重んじられ、互いの尊厳が尊重されなければ平和とは言えません。人権や自由が抑圧されている社会は、いつしか戦争を正当化する社会に転落してしまします。そうならないためにも、私たちはこの世界で起こっていることが、私たちの日常と地続きであることを認識しなくてはなりません。そして安易な現実論に取り込まれるのではなく、何が私たちの主イエス・キリストが願い給うことかを、聞き続けていかなくてはならないのです。「あなたは、恵みと憐みの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。」この神さまのなさり方と御心にこそ、真実の平和への道が存在することを信じて、歩んでまいりたいと思います。お祈りをいたします。
【祈り】イエス・キリストの父なる神さま、あなたの貴き御名を讃美いたします。台風7号が接近する中で、私たちを守り支えてくださったことを、感謝いたします。8月は戦争と平和について、とりわけ思いを深くするときです。主イエスは「平和を実現する人は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。その御言葉の意味を深く尋ね求め、思いめぐらす時を、私たちに過ごさせてください。相変わらず猛暑の日々が続きます。どうか、兄弟姉妹一人ひとりの心身の健康をお支えください。この拙きひと言の切なるお祈りを、主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。